IMDb 7.5 / 10 | IN MOVIES 8.0 / 10 | 118min | 2月11日(木)日本公開
この映画のあらすじ
1951年。クリスマス前の賑やかなNY、高級百貨店のおもちゃ売り場で目と目が逢うキャロルとテレーズ。同時ではない。まずはテレーズが見つけ、続いてキャロルが気がつく。そして、おそらく意図的にキャロルは手袋を忘れる。
キャロルは離婚協議中で夫と愛娘の奪い合いに辟易しており、そんな自分の滞った世界からの逃避先がテレーズと一緒に居る新鮮な時間となる。その一方、自分の所属している世界に何故かしっくりきていなかったテレーズもキャロルの世界にどんどん引き込まれていく。二人の距離は速度を増して近くなっていき、やがてお互いがお互いにとって何ものにも代え難い存在へと発展していくが、、、
キャロルとテレーズ。それぞれの美しさ。
キャロル:ケイト・ブランシェット
キャロルのは低めの声で、瞬時にその場の制圧者となります。マニキュアで磨かれた手でタバコを絶えず吸い、象牙色の巨大な車を運転するか、ミンクの毛皮、もしくは真赤なコートに黒サングラスで街を闊歩する。文章にするとまるでギャングの様ですが正反対。キャロルは女性的です。熟年といえる年齢ですが、ものわかりのいい成熟さはなく、情熱的で自由奔放。そして勇気を持っています。ブルージャスミンでもそうでしたが、お金持ちのマダム役なら今ケイト・ブランシェットの右に出る者はいません。
そんなキャロルの根幹思想は、テレーズを家に呼んだ際、最初にきちんと語られています。「正しいと思う事を大切にやり続けるだけ。あとは切り捨てるのよ」と。
テレーズ:ルーニー・マーラ
テレーズは若く、何かを探し求めるまっすぐな気持ちと戸惑い、けなげさ、そして男性的とも女性的ともいえない、しかし強いて言うとボーイッシュな雰囲気。パッツンおかっぱの前髪、太い眉、大きな眼。オードリー・ヘプバーンを思い出した人も多いことでしょう。ルーニー・マーラは「ドラゴンタトゥーの女」で語られる事が多いようですが実は違います。サンダンスで撮影賞だった「セインツ -約束の果て-」、ソダーバーグの問題作「サイド・エフェクト」、スパイクジョーンズの傑作「her/世界でひとつの彼女」、ブラジルの子ども達を守るボランティア役の「トラッシュ!−この街が輝く日まで−」、どれも女性らしく演技派の役柄であり、この映画もその延長。どちらかというとドラゴンが特別だっただけなのです。
無言で見つめ合う時間
自分のペースで話しを進めるキャロル。大きな瞳でまっすぐ見返すテレーズ。カメラはじっくりと二人の表情を交互に写します。「眼」対「眼」。ふたりとも凄い演技力です。無言で見つめ合う時間が長い。これが上映中、なんとなくずっと続きますので、鑑賞しているこちらは、ついつい呼吸するのさえ忘れて、気がつくと大きなため息をしている自分に気がつく始末です。
この映画の音楽
16ミリで撮影された映像、町並みやインテリアのセット、魅惑的なファッション、そのすべてが当時を再現すべく緻密に計算されたものであり、評判どおり素晴らしいものです。しかし、この映画の重要なエッセンスとして、ケイト・ブランシェットの卓越した演技と繊細な音楽の相乗効果がある事も見逃してはなりません。
全てを当時のとおりに再現したら、ただの古い映画になってしまいます。「キャロル」が時代に左右されない洗練された映画となったのは、登場人物の心の襞(ひだ)を音で表現する美しいオーケストレーションが、映画自体に新たな生命を吹き込んでいるからなのです。
この映画のサントラを手掛けるのはカーター・バウエル。コーエン兄弟の全作品と、スパイクジョーンズの全作品のサントラは彼が作っており、つまり、古典的手法でクセのある監督たちの大のお気に入り、知る人ぞ知る作曲家です。(「ファーゴ」、「バーバー」、「かいじゅうたちのいるところ」、「HER」などの美しい音世界を思い出します)。この「キャロル」でも弦楽器、管楽器、ピアノとハープが中心のスコアーで、前述のとおり人物の心情変化と音楽がシンクロしており、映画全体の流れや勢いを抑えたり放出させたり、今後起こるべき事象の暗示を音楽で表現します。音と映像の織りなすドラマ。最新の3D体験とは対極の、これが本来の映画の魅力。これが映画のときめきなのだと実感します。
挿入歌
「Easy Living」ビリー・ホリデイ:テレーズがキャロルの家のピアノで弾く曲。レコード店でプレゼントに選ぶアルバム
この映画のみどころとテーマ
丁寧に作られ、洗練された名作です。同性愛の是非を問う映画ではありません。我々は禁断の恋愛にハラハラし、同時にその美しさにときめき、最後には正直に生きようとする勇気に魅了されます。そういうシンプルな作品です。そうそう、 キャロルの幼なじみのアビーが、キャロルに尽くす無条件の愛も忘れずに。
更に、微に入り細に入ったこの映画のレビュー
ランチのメニュー
最初のデートは昼休みのランチ。2人の関係を象徴するかの様な窓の光が届かない席。メニューも見ないでキャロルが注文するのは、ポーチドエッグとほうれん草のクリームソース。そしてオリーブ入りのドライ・マティーニ。なんだか良く分かりませんが有閑マダムが注文しそうなメニューです。ケイト・ブランシェットなら昼間からマティーニでも別に驚きません。
ほんの一瞬遅かったらストーリーが変わるかもしれない瞬間が2回。
- その1:二人の旅行が突然終わってしまった後、テレーズがキャロルに電話をする。キャロルは何とか無言で電話を切る。もしもあと数秒、キャロルがためらう時間が長かったら、テレーズの「寂しい」という言葉を聞いてしまい、キャロルもそれに答えてしまったことでしょう。そうしたらまた別のストーリーになっていたかもしれません。
- その2:ほぼラスト、再会の時、テレーズは少し成長しており、何でもイエスとは言わなくなっている。でもやはりはっきりしない。自分でもよくわからない。おそらく傷ついた痛みのやり場がわからずに、虚勢を張ってキャロルの申し出を断ってしまう。キャロルは予想していたかのように怯まず、その晩のディナーに誘う。口は微笑みながら、しかし目はいまにも泣き出しそう。(ここのキャロルは見入るほどの熱演)たっぷり10秒以上見つめ合う二人。それぞれに去来する思いは何か。そして遂にキャロルが「I love you」と言う、、、つぎの瞬間、遠くからテレーズを呼ぶ男性の声。テレーズの友人のそのまた友人のジャックが偶然に居合わせたのだ。テレーズは我に返る。あとほんの少し二人に時間があったら、テレーズは答えてしまったことでしょう。そうしたらまた別のストーリーになっていたかもしれません。
肩に手を掛けるシーンが3回。
キャロルがテレーズの後ろから肩に手を掛けるシーンが全部で3回あります。それぞれが物語の変わり目です。
- 最初はキャロルの家でテレーズがピアノを弾いている時。これから起きる事への予兆。
- 2回目はニューイヤーズ・イブのモーテルで。この後の展開はご存じのとおり。まさに溢れる愛情。
- 最後がリッツカールトンのカフェで再会し、テレーズがキャロルの申し出を断った後。最終章への余韻。
マニキュアのないキャロル。
親権の聴問会。寸前にテレーズの姿を見かけ、改めて覚悟を決めたキャロルは真実を話します。自分の意志に反して生きても何の意味もないと。そして親権を奪い合うのが無意味であると。このときだけはマニキュアのないキャロル。このシーンの彼女の演技も本当に凄い。
当時のレコード屋さん
テレーズがキャロルへのプレゼントを物色したレコード屋さんのシステムがなかなか面白い。おそらく売り場にある空ジャケットを客がレジに持って行き、中身は店員がレジの裏から出してくるというものだと思われます。
ホテルは実在。
シカゴのドレイクホテル(部屋の椅子にストンと座るテレーズがかわいい)。NYのリッツカールトン(最初と最後のシーンのまちあわせ場所)も実在のホテルです。
4番街とはどんなところ?
キャロルが家具屋でバイヤーとして勤めることになる4番街とは現在のパークアヴェニューのこと。全長約10km、NYの目抜き通り。つまり最も賑やかな通りです。ブルー・ジャスミンとは違う未来でホッとします。
この映画の原作
ヒッチコック監督による「見知らぬ乗客」、ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」の原作者としても有名な女性作家パトリシア・ハイスミスの原作です。不合理、不安感を描く独特の作家ですが、この「キャロル」は特に問題作でした。というのも、1952年に発表された当時は、同性愛はまだ一般的に犯罪扱いされていたため、本名ではなく、クレア・モーガンというペンネームで(本名を偽って)、タイトルは「The piece of salt」としてリリースしたのです。実際に彼女が同性愛者であったかは別として、純粋な創作意欲からの文学であり、どうしても発表したかった事が伺えます。
その結果、無名の作家による異例の内容、異例のベストセラーとなります。彼女が全てをあからさまにしてもいいと判断したのはなんと38年後の1990年で、これ以降になってやっとパトリシア・ハイスミス著の「キャロル」というタイトルに変更されました。
尚、この映画「キャロル」のエンド・クレジットでは「パトリシア・ハイスミス」の「The piece of salt」となっています。
映画館で観るべき?
映画館で観るべき映画です。(キャロルとテレーズのベットシーンがありますので、一緒に観る相手をある程度選びます。)
この映画の時代背景
「雨に唄えば」が1952年、「太陽がいっぱい」は1955年、「ティファニーで朝食を」は1958年。第二次大戦後、中流階級以上がどんどん豊かになっていくアメリカ。公民権運動もこのころから盛んになっていく頃ですが、貧困や戦争について悩まなくてもよくなった時代で、主要メディアがラジオからテレビに移行していき、特に裕福な人々にとってはバブルともいえる消費モードに入っている時代です。クリスマスの売り出しで開店と同時に入店する多数の客達や、街を行く車がどれも巨大なのがそれを象徴しています。
テレーズが勤務先の百貨店の社員食堂で見ていたのは1951〜1952年の就業マニュアル。つまり物語は1951年の暮れから1952年の春ごろまでのお話となります。おそらくテレーズは就職したばかりか、クリスマス繁忙期の応援要員だったのかもしれませんね。
スタッフ覚え書き
監督はトッド・ヘインズ。ゲイです。IMDbを見ると最近のマーク・ハミルのよう。ボブディランを描く「アイム・ノット・ゼア」でケイト・ブランシェットをボブ・ディラン役にしてしまった人です。ジュリアン・ムーアの「エデンより彼方に」でも1950年代を撮っています。元々注目株の監督さんで過去のノミネート作品も多数でしたが、本作で名実ともに有名監督に仲間入りでしょう。
コスチュームデザインはサンディ・パウエル。「シンデレラ」(そういえば、ケイト・ブランシェットは意地悪な縦母役でここにもいます!)で一躍有名になりましたが、ディカプリオの出演作に多く携わっている人です。この映画では50年代の女性ファッションを堪能できますね。テレーズがどんどん変わっていく様相も注目。
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