IMDb 7.0 / 10| IN MOVIES 8.0 / 10| 113min| 2016年5月13日(金)日本公開予定
この映画のあらすじ
スコットランド、ダンカン王に忠誠を尽くすマクベスは、激しい内戦で英雄的な勝利を勝ち取る。直後、何処からか現れた魔女達からマクベスがスコットランドの王になるとお告げをもらう。王位実現のため、マクベスはマクベス婦人とともにダンカン王の暗殺に手を染めるが、自責の念と後戻りのできない狂気に堕ちていく、、、。
この映画のみどころ
風、雲、霧、火、土、水、雨のどれかがいつでも画面を覆っています。逆に太陽と緑が極端に少ない。厳しい自然の象徴。そして血の色と魔女の存在がこの映画に独特な色を添えます。
シェイクスピアの4大悲劇のうちのひとつである事は言うまでもありません。おそらく焦点となるであろう、原作への忠実度、再現度で評価した場合は意見が分かれる映画です。一方で、新たな解釈の上で作られた映画として観れば、非常にアーティスティックでパワフルな内容を楽しめるはずです。
まるで劇場の幕のごとく赤いタイトルロールが上がり、エンドロールも赤。血の色です。本編の映像はプロモーション・ビデオのように美しく、情熱的で、陰影ある映像を切り貼りしています。後述しますが、原作にないシーンも効果的に加えられ、一方的に悲劇を見せつけられて終わることなく、ストーリー全体のまとまりと深みが出ています。
セリフは原作に忠実な部分が多く、シェイクスピアの魂をしっかりと受け継いでいます。
スコティッシュ・アクセント(イギリス英語の中でも様々な方言がありますが、マクベスではスコティッシュ・アクセントになります)が少々難解かもしれません。当然ながら長いセリフも多いので、冗長にならないための演技力が効いてきます。マクベス役のマイケル・ファスベンダーの役者魂を堪能できるでしょう。マクベス婦人役のマリオン・コティヤールは(フランス育ちなので)普段のフランス語アクセントのままでしたが、特に違和感なく、逆に色彩を添える効果があったと思います。マクベス婦人は何らかの理由でフランスからスコットランドに来たと考えてみるのも面白いし。(舞台劇の朗読風なセリフについては、場合によっては退屈に感じる人もいるかもしれません。)
それにしても、話す時の顔がみんな異様に近いです。唾がばしばし降りかかる至近距離で叫び合ったりして、本人たちはとてもうるさそうなのですが、アクション・シーンが少ない分、そんなアグレッシブさも動的な要素となる訳です。
この映画の意図するところ
勇猛で信頼おけるマクベスが欲に目が眩み、崖から転がり落ちるが如く裏切りと殺戮の人生に移り行く様。人間の弱さ、あるいは不完全さ。自分をコントロール出来ない恐ろしさが描かれています。
マクベスは魔女のお告げで人間が変わった訳ではありません。マクベスが元々持っていた「悪の部分」が増幅されたのです。そして罪の意識を感じる「善の心」も同時に持っています。悪行を行う度に、善の心が自身を崩壊させていくのです。王位に就いても喜びや達成感があるどころか、罪の意識が深くなり、自己崩壊していくのはそのためです。我々人間が多かれ少なかれ持っている本性。シェイクスピアの時代から進化できない人間の不完全さなのです。
この映画がシェイクスピアの原作と異なるところ
- マクベス夫婦の子供の葬式(おそらく伝染病で亡くなった)は原作には全く描かれていません。
- 魔女は原作では3人。しかしこの映画では4人(魔女に抱かれている赤ん坊は除く)です。ちなみにエンド・クレジットでは、Young Witch(若い魔女)、Middle-Aged Witch(中年の魔女)、Older Witch(年をとった魔女)、Child Witch(子供の魔女)と記載されているので、原作で途中から現れる魔女ヘカティが含まれて4名になっている訳ではない様です。
- マクベスがダンカン王を暗殺する直前。原作では短剣のみが幻として現れますが、この映画では冒頭で一緒に闘った若い戦士(Scot Greenan)の幻影が短剣を差し出します。舞台劇でマクベスを演じる場合は、紐で短剣を吊るしたり、なかなか工夫が必要な場面ですが、思い切って人間(幻影)に持たせてしまいました。幻影の若い戦士はマクベスにとっては聖なる存在です。結果的にマクベスが短剣を受け取れなかった=暗殺は止めるべきである事を示唆しています。
- マクベスがダンカン王を暗殺する現場にて、原作には目撃者はいません(というか、暗殺シーン自体がありません)が、この映画では王の息子マルコムが見ているのです!
- 原作では晩餐にてバンクォーの亡霊がマクベスの席に座っていて、マクベスをおおいに困らせるシーンなのですが、この映画では他の人々に混じっています。全員が着席した時にバンクォーの亡霊だけが棒立ちしているので気がつくのです。亡霊らしい演出は良いアイデアで、はっとします。
- 映画のはじまり場面の子供のお葬式。マクベス婦人はこの時から既に気がふれている顔つきになっています。原作ではマクベスをそそのかす役であり、なんとなく生まれながらにして魔女的な性格で描かれていますが、本映画では子供を亡くした親の悲壮感や放心状態の後に来る狂気である旨の説明となっています。更に、原作では、マクベスと同様に内面から狂気に侵されていくマクベス夫人ですが、本映画ではマクベスの行き過ぎた流血沙汰が主な原因となっています。
- 原作では魔女は大鍋で魔法を用意しますが、この映画では戦場の死体から抜いた血をマクベスに飲ませて幻影を出現させ、新たなお告げを聞かせます。
- バーナムの森がダンシネインの丘に攻めてくる様に見えるからくりは、原作では兵士が一人一人枝を切って前にかざしながら前進する事になっていますが、本映画では森を焼き払ったその灰が風で前進してくるという解釈になっています。枝を持って更新する様は舞台では分かり易いかもしれませんが、映画では軽すぎるか、コミカルになってしまう可能性もあります。火、灰、風を利用したアイデアは説得力があり、効果的です。
更に、微に入り細に入ったこの映画のレビュー
マクベスのダンカン暗殺シーン。
荒々しい映像をあえて無音見せ、音楽が映像に合わせて激しくなっていく。外ではダンカンの愛馬が不吉な予感を感じて雨の中で暴れいななく。そしてクライマックスで死が訪れる、、、。「地獄の黙示録」でチャーリー・シーンがマーロン・ブランドを殺すシーンを彷彿させます。
最後のマクベスとマクダフとの闘い。
いい意味で裏切られました。原作ではマクベスはマクダフに打ち首にされますが、この映画ではほぼ自殺です。マクベスの狂気を終わらせるのは死による解放以外ありません。マクダフこそが自分を殺す役目を担っている事を知ったが故、自分を差し出したのです。シェークスピアらしさともいえる悲劇性がなくなり、マクベスを潔いヒーローのような扱いにしているのは賛否分かれるところでしょう。
物語はつづく。
マクベスが逝った後、次の王は臆病なマルコムです。そして、魔女の予言はまだ残っています。そうです。バンクォーの息子フリーアンスです。バンクォーの息子が王になるべく、マルコムを狙って剣を持って走る。このシーンも原作にはありません。これからどのような人生が待っているのでしょう。少なくとも魔女はいない様ですが、朝焼けの「真っ赤」な霧の中に走っていくのです。すぐになのか、もっと年月が必要なのかもわかりません。しかし新たな物語がまた始まるのです。
スタッフ覚え書き
バンクォー:Paddy Considine.「ボーン・アルティメイタム」の臆病新聞記者役でした。
ダンカン王:David Thewlis.「ハリーポッター」にも出ていますが、今回の役柄は「キングダム・オブ・ヘブン」での十字軍の役とかぶります。味のある役者さんです。
マクダフ:Sean Harris:もっと味のある役者さんです。「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」の悪役を覚えているでしょうか?また、マイケル・ファスベンダーとは「Wedding Belles(イギリスのテレビ映画)」や「プロメテウス」等で共演しています。
監督:ジャスティン・カーゼル(Justin Kurzel).オーストラリア出身。作品数はまだ少なく、ある程度知られているのは「スノータウン」くらいでしょう。次回監督作「アサシンクリード」で再びマイケル・ファスベンダーとマリオン・コティヤールを起用しています!
音楽:ジェド・カーゼル(Jed Kurzel).ジャスティン・カーゼルの弟。最近だとマイケル・ファスベンダーが出演している「Slow West」という渋い映画でも音楽を担当しています。役者さんも作る側もなんとなく繋がっていて、みんな仲良しのようですね。