映画「ヤング・アダルト・ニューヨーク」は狼を招き入れてしまった3匹の子ブタの物語。ネタバレ、詳細レビュー / by abou el fida

ヤング・アダルト・ニューヨーク

IMDb 6.3・IN MOVIES 7.5・97min・2016年7月22日(金)日本公開

三匹の子ブタ

映画冒頭はイプセンの演劇『棟梁ソルネス / The Master Builder』から、「若者を締め出すのではなく、受け入れなさい」というセリフの引用ではじまります。そして、主人公のジョシュとコーネリア夫婦が友人の赤ん坊を覗き込みながらグリム童話の『3匹の子ブタ(※)』を語り出します。『3匹の子ブタ』はこの映画と深く関わる重要な教訓が含まれる内容なのですが、しかし二人は途中から物語の内容を思い出せません。

※ 『3匹の子ブタ』: 藁や木で作った家はあっという間に吹き飛ばされてしまい、2匹の子ブタは狼に食べられてしまいます。しかしレンガで作られた家は動じず、残った子ブタは無事だったというお話し。原作は青空文庫で3分ほどで読めます。


二組の夫婦

熟年夫婦

  • ジョシュ : ベン・スティラー
  • コーネリア : ナオミ・ワッツ

今どき夫婦

  • ジェイミー : アダム・ドライバー
  • ダービー : アマンダ・サイフリッド

ジョシュとダービーは狼に家を吹き飛ばされる子ブタ。コーネリアはレンガの家の子ブタ。ジェイミーはもちろん狼です。


何故狼にねらわれるのか?

NY、ブルックリンに住む熟年夫婦、ジョシュとコーネリアは2度の流産で子どもを作る事をあきらめ、二人だけの自由な生活を満喫していた、、、はずでしたが、仲の良い友人夫婦に子どもが出来てしまった事で、その話題に再度、強制的に直面せざるをえなくなってしまいます。

加えて、ジョシュは過去の一度きりの成功(誰もが持っているちょっとしたモテ期のようなものの象徴)を拠り所に、8年にもわたってドキュメンタリー作品(ジョシュが自分の人生に迷っているという象徴)を作り続けています。

心では納得していても、必要なものを生み出せないという事実から逃げられないジョシュとコーネリア。

二人は魅力的だし、知的だし、勇敢だし、正直だし、愛し合っていて、愛されるべきカップルであり、つまり非の打ち所がないのですが、一時的に不安定感が増幅していて免疫力が落ちています。特にジョシュは、無意識ながらもすぐに吹き飛ばされてしまいそうなほど隙だらけ。そんな時に現れるのがジェイミーなのです。


この映画はジェネレーション・ギャップのお話ではありません。

※ ジェネレーションギャップ(Generation Gap)とは、世代(時代)による文化、価値観、思想などの相違のこと。和製英語ではない。- Wikipedia

結果的には、この映画はジェネレーション・ギャップのお話ではありません。理由は以下のとおりです。 

  • ジェイミーは、自分の成功のためなら嘘までついて他人を利用する人間である。
  • ジョシュは純粋すぎたからジェイミーに利用された(ダービーの言葉)。

アナログ主義、プロセスを楽しむ事、DIY主義、神秘主義、偶然性を重んじる人々は世代とは関係なくただの個性です。

ヤング・アダルト・ニューヨーク

ジェイミーの野心と、その他の3人についてもう少し。

ジェイミーは、「すごい、すごい」と人をおだてながら、実は心の中は野心でいっぱいです。そして自分の領地に入った人たちにはまるでちょっとしたグールーのように大げさな身振りと自分の価値観で魅了し、さらに近くに引きつけてから食べてしまうのです。根は悪い奴じゃないと言いたいところですが、純粋なひとにとっては狼です。言葉を変えればペテン師。

ジェイミーは友人との食事中、会計伝票がテーブルに置かれたのを見ぬ振りをするペテン師なのです。これはもう本当に若さ故の事ではありません。ペテン師の常套手段は獲物を引きつける「つかみ」です。

この映画の「つかみ」はクールなファッションやライフ・スタイルです。古いものと新しいものを同一のレベルでみる現代的な視線、価値観(ジョシュによると、"taste is democratic")がジェイミーのジョシュに対する「つかみ」です。

ジョシュは純粋で、同時になかなか自分を客観視する事ができない不器用な人間です。夫婦の在り方、未来に対して、おそらく無意識に何かもの足りなく感じていた時に、ペテン師のクモの巣にかかってしまったのです。

ジョシュが義理の父に無意味に当たり散らしたあと、自転車を盗まれてしまったのは、きちんとしたレンガの家のように、きちんとした防犯対策を怠っていたのが原因ですので自業自得です。物語中盤のこのエピソードは、大切なものを誰かに盗まれるという象徴で、実は既にクモの巣にひっかかってしまっているジョシュは、義理の父をジェイミーにとられてしまい、更にその後に成功までも取られてしまうことになります。

ダービーも同じ巣にかかっていて、最終的にはキズを負ってしまいます。しかし、コーネリアは慎重です。ジョシュと一緒に楽しめる純粋さを持ちながら、物事にたいする客観視ができる懐の広さ(ダービーに対しては最初から好意的でしたが、ジョシュに対しては距離感があります)を持ち、つまりレンガの家を作るタイプなのです。

ですので、ジョシュにとってコーネリアは完璧なパートナーです。例えば、電球が明るすぎると夫がクレームを言うと、妻は、明日取り替えておくわと即答します。電球交換なんて無条件に男性のケアすべき事と思いますが、きっと妻が売れないドキュメンタリー・ディレクターの夫のために家の事をなんでもしているという象徴なのでしょう。また、ジェイミーから、ジョシュは結果主義か?と質問されたとき、ジョシュ自身は「違う」と答え、コーネリアは「そのとおり」と同時に答えます。ジョシュは自分を客観視できてなく、コーネリアの方がよくわかっており、すなわちジョシュに足りないものはコーネリアが補完しているのです。

ヤング・アダルト・ニューヨーク
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ラストシーンについて

前述のとおり、ジョシュはジェイミーの若さに騙され、つまずいたのではありません。ですので、ジョシュの最後のセリフ「悪魔ではなく、若いだけだとわかったよ」と言ったのは、ジョシュはそれでもまだ、気がつかない(何かを信じ続ける)お人好しで、単に若いという無関係な要素で自分を納得させただけに過ぎないという事になります。

人間的成長とも言えなくもないですが、どちらかというと他人の受け入れ方法を学んだという事でしょう。冒頭のイプセンの演劇はここで意味が出てきます。

大人のコーネリアにとっては理由よりも、彼がこの問題に決着をつけておしまいにした事、直感的に彼の純粋さを再発見した事で安心したのですね。

そして、最後にコメディらしいおまけとして、空港で二人の目の前で悪さをする他人の赤ん坊こそ本当の悪魔なのでは?二人はこれから新たな悪魔を迎えに行くのでは?というオチ。


この映画の面白さ。クールなライフスタイルと会話について

映画や音楽の分野では、60年代〜80年代の革命的でオリジナリティある作品の再認識が世界的な風潮になっています。新旧同列主義。インターネットを通じてあらゆる時代、あらゆる情報にアクセスが出来る時代では選択のセンスこそがクールの第一条件です。(ジェイミーのVHFカセットはインターネットのイーベイがあってこそ実現しています。)

もっとも、ファッションに代表されるように、過去の再認識であっても、多くの場合はそれさえ流行として消費されてしまうのですけれど。

ともあれ、ジェイミーとダービー(ともう一人の同居人)の住まいは、この映画では大変魅力的に映されていたし、ちょっとした会話に現れるものの考え方も興味深いものがあります。例えば予告編にも含まれるこんなセリフです。

ジョシュが思い出せない言葉をスマホで検索しようとしたとき。

ジェイミー:「待った、それじゃあ安易すぎるよ。 / No, That's too easy.」

ダービー:「(自分の力で)思い出せるか試してみましょう。 / Let's try to remember it.」

〜  思い出すためにしばらく唸った後、、、 〜

ジェイミー「(思い出せないってことは)それを知っていなくてもよいということなんだよ。 / Let's just not know what it is.」

とてもさりげないながらも、意図的に織り込まれた会話。ウディアレンの再来ともいわれている所以ですね。

この映画で、我々は彼等の普段の生活(特に普段の生活で交じわされる彼等の会話)を、ニューヨーク・ブルックリンの街並とともに体験します。昼間はそれぞれの仕事や習い事、ジム、、、夜は大抵カップル単位で友人たちと会食。週末はちょっとしたイベント。そして自宅に戻って寝る前の本音トーク。

純粋な子ブタ、賢い子ブタ、ちょっとキズを負って人生を学んだ子ブタ、そして狼。みんなおもしろい奴らで、それぞれのトークには思想があり、トークこそが面白い映画です。

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資料編

 

ジェームス・マーフィ

ヤング・アダルト・ニューヨーク

音楽はジェームス・マーフィ(といっても、冒頭のオルゴール・アレンジの「Golden years」を演奏しているだけ)は、LCD サウンドシステムとしての活動でご存知の方もいるかもしれません。彼等は巨匠リック・ルービンのスタジオでアルバムを製作しています。ですので、リック・ルービンがプロデュースしていたビースティー・ボーイズのメンバー、アドロック(アダム・ホロヴィッツ)が「ヤング・アダルト・ニューヨーク」出演しているのは偶然ではないでしょう。


デヴィッド・ボウイ「ゴールデン・イヤーズ」(1975年)

冒頭で聞こえるオルゴールの音色。メロディをよく聴くと、原曲はデヴィッド・ボウイの「ゴールデン・イヤーズ」(1975年)。エンディングでオリジナルがかかりますので、最初と最後は同じ曲というわけです。「ゴールデン・イヤーズ」の意味はこの映画の原題「While we're young」とほぼ同じ意味です。

(ちなみに、ノア・バームバック監督の前作「フランシス・ハ」のエンディングもデヴィッド・ボウイ。曲は「モダン・ラヴ」でした。間違いなくデヴィッド・ボウイファンでしょう。)


ポールマッカートニーの「幸せのノック / Let 'Em In」(1976年)

エンド・ロールでは「ゴールデン・イヤーズ」の後にもう一曲。ポールマッカートニーの「幸せのノック / Let 'Em In」がかかります。この曲の歌詞は、「ドアを開けて彼等を中に入れてあげてよ」というもの。冒頭のイプセンの劇「棟梁ソルネス」の言葉をまた繰り返すのです。この選曲も楽しいおまけです。

しかも、この曲はわざわざアナログレコードから収録した様で、レコード針のチリチリ音が聞こえます。(CDにはチリチリ音は入っていません)曲の途中でもチリチリ聞こえますが、終了間際はかなりはっきり聞こえますので、映画館で早々に席を立たずにノア・バームバック監督のこだわりを是非お聞き逃しなく。

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 クッキー・オ・パス / Cookie O' Puss(1970年代)

5人も乗ったぎゅうぎゅう詰めの車で盛り上がるコマーシャルの話題。実在したコマーシャルです。当時の子どもには受けたことと思いますが、ものすごくつまらないCMです。鼻がソフトクリームじゃないですか。そのバカバカしさがなんとも言えません。


イプセン / 「棟梁ソルネス」

「棟梁ソルネス」他、名作の「人形の家」と「幽霊」も含む全11の戯曲を収録。

アヤワスカ・セレモニー / ayahuasca ceremony

アヤワスカは実在する植物から抽出した実在する幻覚剤。アヤワスカを飲むとまさに映画の症状になるようです。ウィリアム・バロウズとアレン・ギンズバーグはこのアヤワスカを探しに行き1963年「麻薬書簡」を出版。ビート・ジェネレーションです。


ローズマリーの赤ちゃん(1968年)

ジェイミィとダービーが話題にする映画「ローズマリーの赤ちゃん」にはなんと、チャールズ・グローディンが出演しています。(「ヤング・アダルト・ニューヨーク」ではコーネリアの父役の役者さん)50年も前にクールな映画に出演していた彼へのリスペクトです。

ヤング・アダルト・ニューヨーク

ハウリング(1981年)

ジェイミィとダービーがVHSで観る映画は「ハウリング」。マニアに傑作と言わしめる、狼男ホラー。日本版は廃盤でプレミア状態。英語音声、英語字幕でよろしければ輸入版がこなれた価格で手に入ります。


トンマーゾ・ランドルフィ「ゴーゴリの妻 / Gogol's Wife」

ダービーが読んでいた本。トンマーゾ・ランドルフィはイタリアの幻想文学小説家。「ゴーゴリの妻」では主人公のゴーゴリが妻と言っていたのはゴムでできた人形だったという、奇妙でグロテスクなお話し。自分がジェイミィにとってのゴム人形じゃないかなどと考えたりしているのでしょう。きっと。 USA Amazonでの評価は上々。

ヤング・アダルト・ニューヨーク

クリス・クリストファーソン「Easter Land」(1978年)

ダービーがヘッドフォンで聴いているのは、俳優でも有名なクリス・クリストファーソン。廃盤のため日本のアマゾンではプレミア価格でしか手に入りません。

しかし、itunesのダウンロードなら1500円です!


ワイルド・スタイル / Wild Style(1983年)

エンド・タイトルで映る壁面アート(原題「While we're young」)は「ワイルド・スタイル / Wild Style」へのオマージュ。

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