IMDb 5.2・IN MOVIES7.7・124min・2016年9月24日(土)日本公開
「白い帽子の女」はなぜ多くの人が失望するのか
この映画が多くの人を失望させている主な理由は、ハリウッド映画を基準にして観られてしまうからでしょう。ブラピもアンジーも基本的にハリウッドの俳優さんなので当然のことです。しかし、まず前提として、この映画の体裁は完全にフランス映画です。もう少し具体的にいうとヌーヴェル・ヴァーグ時代(1950年代〜1960年代)のフランスの美意識と、ヌーヴェル・ヴァーグ以降のフランス映画のシリアスさ(初期のジャン=ジャック・ベネックス、レオス・カラックスなど)の両方のテイストを持った作品です。ちなみに、主要な登場人物名が、『ローランド』と、『フランソワ』なのは、ヌーベル・ヴァーグを代表するフランソワ・ロラン・トリュフォー監督(「ロラン」は「ローランド」のフランス語読み。綴りは英語、仏語ともに「Rolannd」)へのオマージュで、アンジェリーナ・ジョリー・ピットが部屋で歩くシーンで膝下だけを追う映像などトリュフォーそのものです!
一般的にフランスの映画は監督主導型の芸術作品である事を意識し、ハリウッド映画は観客主導型の娯楽作品である事を意識して作られています。フランス映画とハリウッド映画は、美術館で絵画を鑑賞するのと、遊園地のアトラクションを体験するくらい異なるものなのです。どちらが偉いというわけではなく、我々はその時の気分で観たいものを選択すればよいだけの事なのですが、ちょっとした勘違いや思い込みが、観賞後の感想を左右してしまうのもまた事実です。
物語の設定は1970年代初期、撮影は地中海。
原題は「By the Sea」、邦題は「白い帽子の女」(ルノワールの絵画とは無関係)。舞台は1970年代初期ごろ、南フランスの小さなリゾートにワンシーズン滞在する夫婦の愛の物語。撮影は地中海の小さな島国マルタ共和国で、本島のマルタ島のすぐ横にあるゴゾ島の"Mgarr ix Xini"湾(読み方不明)という場所で主に行われました。小さくて素朴で美しい湾です。
ブラッド・ピット&アンジェリーナ・ジョリー・ピット夫妻の実際のハネムーンの地とのことで、本人達の思い入れも深いでしょうし、計り知れないパーソナルな内容も含まれた映画なのだろうなぁと、勝手ながら思いめぐらせたりもしてしまいます。と、同時にこの作品はアンジェリーナ・ジョリー・ピットの監督作品。夫婦の立場は逆ですが、かつてのジーナ・ローランズとジョン・カサベテス夫妻を彷彿します。
主な登場人物
- ローランド : ブラッド・ピット
- ヴァネッサ : アンジェリーナ・ジョリー・ピット
- レア : メラニー・ロラン
- フランソワ : メルヴィル・プポー
- ミシェル : ニエル・アレストリュプ(カフェ・オーナー)
- パトリス : リシャール・ボーランジェ(ホテル・マネージャー)
フランス流の愛
ローランドとヴァネッサ
作家のローランドは努力家で正直で純粋。いつもノートを持ち歩き、様々な場面で何かを書いている姿が勤勉さを物語っています。アルコールへの逃避はしますが、病的なアルコール中毒ではありません。カフェに入り浸る目的は、昼間はヴァネッサが部屋で1人の時間を望むのと、自身の小説のインスピレーションのための人間観察と取材です。一方ヴァネッサは無意識な策略家。純粋でもろく、不器用な狂気を持っています。若ければ小悪魔ということで許される場合もありますが(特にフランス映画)、充分な大人ではそうもいきません。実は不妊により自分の思い描いていた人生が実現できず、うつで強迫性障害とも言える症状です。
ギブ・アンド・テイク
ローランドはヴァネッサの心の傷を見抜いており、ヴァネッサの常軌を逸した行動にいら立ちながらも理解を試み、泥酔しながらも修復を試みる忍耐力があり、最後には必ず寛大です。つまり、ローランドの愛が二人を救うわけですが、ヴァネッサとの愛の闘いがあったからこそ、最後に彼は本を書き上げる事ができたのも事実です。ローランドは尽くす愛を注ぎ、ヴァネッサは心の中の悪魔を吐き出すという相互関係の図式が浮かび上がります。この悪魔は夫の執筆への刺激というか触媒になりますが、それは過酷であり、時に醜く、二人の関係が崩壊するギリギリまで、愛を賭けた真剣勝負となります。そして、双方が充分に与えあう事ができたからこそ、ラストシーンで二人に微笑みがあるのです。
確か、フランソワ・トリュフォーの何かの作品の登場人物が「女を裁くのではなく理解することだけが女を幸福に出来る」と言っていました。また「突然炎のごとく」(1962年)でジャンヌ・モローが「こんなわがままなあたしを軽蔑するでしょう」というのに対し、ジュールは「君が何をしても、どんなことになっても愛している」と答えます。どちらもなんともフランス的な愛であり、この映画のローランドの愛そのものです。
「ベティ・ブルー/愛と激情の日々」との比較
さて、ここでぜひ思い出して比べたいのは、「Mr.&Mrs.スミス」ではなく、ジャン=ジャック・ベネックス監督の「ベティ・ブルー/愛と激情の日々」(1986年)です。双方、舞台はフランスの海辺、男性は書けない作家で正直で純粋、そして愛に忍耐強く献身的。女性は子を授かることができず、己のどうにもならない感情を常軌を逸した行動で表現する。ラストは異なりますが、暴力的ともいえる愛の真剣勝負の物語の結末に、ゾルグもローランドも妻との愛の物語を一冊の本に書き上げるのです。しかし、誤解無きよう、この「白い帽子の女」は「ベティ・ブルー」との類似点はあっても模倣ではなく、ピット夫妻の新たな挑戦であり、彼等の個性ともいえる独自の美学、独自の質感に仕上げることに成功した完全なオリジナルです。
青い海に漁師の小舟
青い海にポツンと漁師の小舟が映り、漁に出て、また戻ってくる風景が何度か描かれます。
中盤でヴァネッサがローランドに次のように言います。「毎日毎日、あの漁師は小舟で漕ぎ出すの。早朝に漕ぎ出し、夜にならないと帰ってくる事ができないから、とても過酷な漁よね。きっと全てに疲れ果ててしまうはずなのに、彼はどうして続ける事ができるのかしら。きっと我々が知らない秘密があるのね。【それこそが我々の愛を救うものかもしれないわね。】」(スミカッコ内はセリフではなく、筆者が勝手に付け足したヴァネッサの心の声です。)その秘密の答えはローランドが最後にきっちり語っていますので、ここでは触れないことにしましょう。が、しかし、一応、覚え書きとしてそのセリフを英語で記します。
He goes with the tide.
You let it pull you out to sea or guide you back in.
Some times you hand to move with it.
Some times, honey that's all we can do.
漁師は過酷であっても流れに身をまかせつつ、決して諦めません。漁師は妻との愛を信じるローランドの象徴でもあり、同時に心の海原(うなばら)にさまようヴァネッサの自意識のメタファーでもあります。朝、ヴァネッサは漁師と一緒に心の沖へ漕ぎ出し、漁師が戻ると自分もベランダから部屋に戻るのです。
詩的で静かな映像でありながら、激しい内面が隠れている事を見事に表しています。
カード・ゲーム
ヴァネッサがレアとトランプをする約束をした直後、誰かが(おそらくフランソワが)海に飛び込み、海の平静さが乱されます。心のざわめきのメタファー。賽(サイ)が投げられた瞬間です。
ヴァネッサがレアと二人で遊ぶ「ブロット」はフランスでポピュラーなカード・ゲーム。まるでこの後の物語の展開を暗示するようにヴァネッサが連勝します。ローランドが遅れて参加してからは「バタイユ」(日本では「戦争」と呼ばれるカード・ケーム)に変更。カード・ゲームは4人の人間関係のメタファーです。
フランソワは不在で同じテーブルについておらず、ゲームが行われている事も知りません。しかしこの物語(ゲーム)の参加メンバーはフランソワも含めて4人なのです。
フランス映画的な赤裸々な正直さ
観る人にとっては、この映画のスピードに馴染めず、何故そんなシーンが必要なのか戸惑い、あるいは嫌悪し、ひいてしまうかもしれません。しかし、それらはありきたりではない強い印象を貴方に残し、この映画の力強さ、フランス映画的な赤裸々な正直さです。
再度トリュフォーの言葉ですが、フェデリコ・フェリーニの最高傑作で世界で最も美しい映画の一本であるともいわれる「カサノバ」(1976年)が当時多くの人々に理解されなかった事に対してこう言っています。「観客は快いものに慣れていて、映画の主人公が感じの悪い人間だったりすると、もう、それだけでアレルギー症状を起こしてしまうのです。」
美しさ、若さ、女優の年齢
避けられぬ老いに、若さと美が次第に遠ざかっていき、通常はその頃に妊娠、子育てという役割が与えられるのに、それらを全うできなかったのがヴァネッサです。この映画では女性の不妊という壁だけでなく、女性の老いについても暗に表現されています。
かつて羨望のダンサーだったヴァネッサは年齢が理由で引退を余儀なくされており、当時の情熱にうなされる日々を送っています。サブリミナル風に挿入されるカットは、おそらく赤ん坊の命とダンサーだった頃の自分でしょう。そんな「油」状態のヴァネッサに「火」を注ぐのは、隣の部屋に滞在するレアの存在です。ヴァネッサの若い輝きへの好奇心は、嫉妬心でもあり、それが押さえきれなくなるほどに強くなったとき、魔女のような残酷さが露出してしまうのです。
実際のアンジェリーナ・ジョリー・ピットの年齢はこのとき40歳です。女優はその年齢相応の役柄の変化があり、特に若い頃から長期間にわたって活躍している女優の場合は、その変化が顕著です。以下はアンジェリーナ・ジョリーの一部の作品と出演当時の年齢です。
- 2001年「トゥームレイダー」26歳
- 2005年「Mr.&Mrs.スミス」30歳
- 2010年「ツーリスト」35歳
- 2015年「白い帽子の女」40歳
2001年〜2005年までの頃はこの映画でのレアの年齢です。怖いものもなくキラキラしている状態。2010年頃から少しずつ変わりはじめ、アクション・スターから大人の役柄に移行しつつ、外見上の美しさは「ツーリスト」あたりが絶頂期でしょう。その「ツーリスト」(オリジナルは2005年フランス映画ソフィー・マルソー主演の「アントニー・ジマー」)の冒頭でもアンジェリーナ・ジョリーの美意識、ヨーロッパ趣味が非常に強く出ていました。その頃からの制作意欲の結晶ともいえるのが本作なのかもしれません。
トリュフォーの作品にも出演しているフランスの女優カトリーヌ・ドヌーヴが奇しくも同じ40歳の時にデイヴィッド・ボウイと共演した「ハンガー」(1983年)という映画も、若さ、美に対する激しい欲望を描いた作品で、しかも公開当時は酷評され、後にカルト的に評価された映画でした。
映画「白い帽子の女」の美学
この映画の美学は最初の5分、二人がシトロエンで丘を下って、カフェで一杯やってからホテルの部屋に入って荷解きするまでのイントロで充分に語られています。
最初にノックダウンされるのは、湾に至るまでの一本道です。白く低い石垣が両脇に積まれ、丘に沿ってなだらかにカーブする、長く細い、まるでヨーロッパのおとぎ話のような一本道。映画の物語のはじまりと終わりにはこの道が入場路、退場路となります。
おそらくホテルのゲストがその前を必ず通過するカフェはレセプションの代わりでしょうか。気付けの一杯を飲みつつ、到着の実感と、カフェに入り浸るホテルのマネージャーにも挨拶ができます。基本、大人のリゾートですから、迎える側も、迎えられる側のゲストもいろいろな意味で大人でなくては務まりません。
2人が滞在するのは2階建てのホテルの2階、海に面した正面の左隅から3部屋続きの最も広いスィート。ホテル全体の20%ほどの広さがあり、隣の部屋と比べて家具調度品も高級です。部屋に通された後に二人が無言で行う儀式、荷解きと家具の配置換えは大変興味深い行動です。まず、夫が仕事をするためのデスクを海を望む窓の真ん前、つまり部屋の一番良い場所に二人で移動させます。これは滞在の第一目的が夫の仕事であるということ。そしてヴァネッサが夫のタイプライターをデスクにセットし、ローランドが妻の化粧品をドレッサーに置く。夫にとって、妻にとって、それぞれの役割において最も重要なアイテムを、相方がマネージャーのごとく用意するのが何故か微笑ましいシーンです。慣れた手付きで手際よく自分たち仕様の部屋に整えていく様子は、このような滞在が今迄に何度も繰り返されてきたという意味でしょう。
ここまででおよそ5分。
彼等が到着した時はまだオフシーズンで、カフェのテラスのテーブルや椅子は積み重ねられ、小さな湾に打ち寄せる小さな波の音さえも聞こえるほどにもの静かです。間もなくオン・シーズンになると、原色の黄色が眩しいパラソルが沢山開いてゲストも多くなり、活気が出てくると同時に、物語にも緊張感が増していくのです。
南仏の田舎の空気、太陽、青く静かな海、光、影、時代感、音楽、車、大理石、フランス扉のガラス、それに映り込む視線、サングラスに映り込む相手の表情、年期が入ったヘリンボーンのフローリングの鈍いツヤ、シャツやドレスの素材感。これらを映したいがために脚本をこしらえたのではないかと推測してしまう程、本編を通してどれも隙なく練り込まれた映像美学です。
ファッションへのこだわり
ヴァネッサは基本的に長袖で膝下丈のスカートで、露出度の高いレアとは対象的です。ドライブのファッション、ディナーのファッション、セーリングのファッション、それぞれがきちんと区別され、どれも素敵で大人な装いです。
ただし、そのこだわりは異常さを伴うほどで、ローランドとともに入念に身繕いをして4人のディナーのためにカフェに入る時の自信満々さと、ドライブの延長で予期せぬディナーに連れて行かれた時、ドライブ用のファッションのままレストランに入る事の後ろめたさ、居心地の悪いおどおどした様子とのあまりの違いが印象的です。何事にも「こうではなくてはいけない」という脅迫的な気持ちが強いのですね。下の画像は「買い物用のフアッション」。
雄弁な小道具達(1970年代初期のヴィンテージたち)
ユニヴァーサル・スタジオのイントロ
まず、映画の冒頭、ユニヴァーサル・スタジオのイントロ映像が、1967年〜1978年に使用されたヴァージョンです。(本ページ上部に貼ったトレイラーでも確認可能)。
イヴ・サン=ローランのサングラス
イヴ・サン=ローランは前述のカトリーヌ・ドヌーヴのお気に入りブランドなことでも有名。ヴァネッサがかけるオーバーサイズで威圧感あるイヴ・サン=ローランのサングラスは、アンジェリーナ・ジョリー・ピット自身のイメージとも重なり、映画のなかでかなりの存在感があります。
ヴァネッサが無造作にガラス面を下にサングラスを置くと、それに気付いたローランドが、きちんとガラス面を上に向けて置き直すシーンが何回もありますが、これは脆く、傷つきやすいガラス面がヴァネッサの心で、それを守り、あるべき位置に直すのがローランドの役割というメタファーです。彼女はいつも無意識にガラス面を下に置いてしまいます。彼は諦める事なく、何度でも置き直してあげます。
シトロエンds
この映画で活躍する車両はフランスのシトロエン・カブリオレ。シルバーのボディに朱色のレザーシート、1967年モデルをカスタマイズした特別な車両で、まるで古いSF映画の宇宙船のような美しさです。
シトロエンdsは駐車すると車高が落ちる油圧サスペションが特徴で、1955年に初期型が発表されてから20年以上にわたるベストセラー。当時のパリではこの車ばかりが目に付きました。一般の人はもちろん、タクシーも救急車も政府公用車もシトロエンdsだったのです。
シャルル・ド・ゴール暗殺を描いた傑作「ジャッカルの日」(1973年)では首相の送迎用車両として、トリュフォーの遺作「日曜日が待ち遠しい!」(1983年)ではファニー・アルダンが雨の中で運転し、前述の「ベティ・ブルー 愛と激情の日々」ではベティがピンクのペンキをボンネットにぶちまけたのもこのシトロエンdsです。
ルイヴィトンの化粧箱
よくある「旅行鞄全部がルィ・ヴィトン」というわけではなく、小さな化粧箱のみなのがなんとなくリアルです。ルィ・ヴィトンだけではなく、他にもお気に入りの旅行鞄があるわけですね。
オリヴェッティ社の真っ赤なタイプライター
1968年にオリヴェッティ社から発売された、イタリアらしい真っ赤なポータブル・タイプライター「ヴァレンタイン」。ソットサスによるデザインは現在でも色褪せず、洗練され、かわいい造形です。持ち運び用のハードケースの工夫も楽しく、この映画でもケースから取り出すシーンがあります。一時的に復刻版も発売されていましたが残念ながら現在は新品は手に入らないようです。(中古なら程度の良いものが3万円ほど)
バー・レストラン
ホテルとバー・レストランはこの映画のために作られたセットです。ホテルの部屋の調度品たち(鏡のカタチだけでもそのこだわりがわかります!)も美しいですが、ローランドが足繁く通うバー・レストランも非常に魅力的です。カウンターでも、テーブル席でも居心地が良いバーレストラン。昼はカジュアルで、しかし年齢層は高く、カウンターで明るいうちからアルコールを注文するのが日常の風景。夜は少々ドレッシィーで、その日の漁で獲れたスペシャリティがディナーの目玉。きちんとした作りの古いけど疲れてはいない赤い革のソファー。その上の真鍮の手すり。小さめの木製テーブル。カフェ、ビストロそのものです。日本ですとラ・マーレの1Fとオーバカナルを足して割ったような感じでしょうか。
パスティス&ウィスキー
パスティス(ペルノーやリカールも基本は同じ)はフランスではイタリアのカンパリのように主に食前酒で、薬草系の個性ある味わい。水やソーダで割って白濁させて飲むのが一般的です。ゴッホ、ランボー、ヘミングウェイなどパリのカフェに集まった在りし日の芸術家達が好んだアブサンが販売禁止された代わりに登場したのがこのパスティスです。ヘミングウェイ考案のカクテル「午後の死」はパスティスをシャンパンで割りますが、「白い帽子の女」では二組のカップルがパスティスをウィスキーで割っておかわり三昧をします。例えばウィスキーをソーダで割る「ハイボール」のようにベースとなるお酒を薄めるのではなく、同じ位アルコール度数の強いパスティスをウィスキーに加えるのです。割るというよりは、ハーフ&ハーフと言った方が正しいかもしれません。タンブラー1杯のパスティス&ウィスキーは、タンブラー1杯のウィスキーストレートに相当します。
アルコール度数資料
割られるもの / パスティス:約40度
割るものの例 / ウィスキー:約40度
割るものの例 / シャンパン:約12度
割るものの例 / 水、ソーダ:なし
フランソワ&レアはべろべろになってしまいますが、ローランド&ヴァネッサは部屋に戻ってから更にワインをあける始末。よくわかりませんが相当な修羅場をくぐってきた二人なのでしょうか。この辺のくだりはMr.&Mrs.スミスの面影がちらっと見える様でもあります。
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音楽
オープニングとエンディングはジェーン・バーキンが唄う「ジェーンB.〜私という女」。セルジュ・ゲンスブールが1969年にリリースしたアルバム「ジェーン&セルジュ」(Jane Birkin Serge Gainsbourg)に収録されています。ショパンの「24の前奏曲作品28 第4番 ホ短調」の旋律を元にした曲で、かなりフレンチ・ポップ度の高い曲でありつつも、現代のサンプリング、マッシュアップ、リミックスの概念をいち早く実践していたようなところもある凄い曲です。
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サントラ・スコアは巨匠ガブリエル・ヤレド。ヨーロッパのハンス・ジマー的存在です。奇をてらわない美しい旋律と良い意味で古典的な弦楽器の多様がこの映画にもぴったり。劇中にて、前述のショパン「24の前奏曲作品28 第4番 ホ短調」をきちんとクラシックでも聴かせてくれます。今作では波の音にかぶさる音楽、ボートを漕ぐ音に被る音楽が非常に繊細で印象的です。ガブリエル・ヤレドが手掛けるのは人間の内面を描く作品が多く、心に残るテーマを奏でる職人とも言えます。例えば過去の作品をいくつか挙げてみれば「あぁ、これもヤレドだよねぇ」と改めて納得です。(最後の2つはアンジェリーナ・ジョリー関係)
- ベティ・ブルー/愛と激情の日々 37°2 le matin (1986年)
- 愛人/ラマン L'Amant (1992年)
- イングリッシュ・ペイシェント The English Patient (1996年)
- リプリー The Talented Mr. Ripley (1999年)
- 善き人のためのソナタ Das Leben der Anderen (2006年)
- ツーリスト The Tourist (2010年)
- 最愛の大地 In the Land of Blood and Honey (2011年)
撮影
撮影はミヒャエル・ハネケの作品に多く携わるクリスティアン・ベルガー。
より自然な光を再現できる撮影機材「シネ・リフレクト・ライティング・システム / Cine Reflect Lighting System 」というものを使用しています。
晴れた日の屋外は眩しいほどの色彩、屋内のレースのカーテンを通して差し込む優しい光。部屋の中の風景は一般の映画よりも暗めに感じる事と思いますが、本来はこれが自然。物の輪郭が見えるか見えないかのわずかな陰影が深い味わいです。
リシャール・ボーランジェ(おまけ資料)
ジャン=ジャック・ベネックス監督「ディーヴァ」(1981年)で主人公の男の子を助ける謎の無敵な助っ人がこの映画ではカフェの隅にいつも居る老ホテルマネージャー役になりました。 フランスでは名優ですから、リスペクト出演といったところでしょう。前述のトリュフォーの「終電車」にも出演しています。女優の年齢について記しましたが、男優の場合はもう少し気軽なのかもしれません。しかしあの眼光鋭いやり手のイメージが強い俳優さんが、静かなおじいさん役になるとは感慨深いものです。
最後に
とても好みが分かれる作品だと思います。40歳になったアンジェリーナ・ジョリーのアクの強さは、人によって感情移入を妨げるものになるかもしれません。そしてなんといっても実生活の二人の関係は、この映画の宣伝にこそなりますが、作品としての正しい評価を曇らせるものとなることでしょう。
しかしながら、繰り返し観るたびに作り手たちの美意識を強く感じ、映画鑑賞の奥深さを愉しめる作品であることは間違いありません。二人は何かを遺すためにこの作品を作り、その表現はとても芳醇です。短編小説を読むように、もしくは美術館の一枚の絵画を見るようにこの映画を鑑賞される事をおすすめします。できればパスティスでも飲みながら。
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