IMDb 6.9/10 | IN MOVIES 8.0/10| 106min日本公開未定
映画のあらすじや見どころなど
この映画は「国境なき水と衛生管理団」(Water and sanitation aid across borders)で活動する5人のロード・ムービーです。
1995年、ボスニア紛争停戦直後。村の井戸に投げ込まれた巨漢の死体をつり上げるためのロープと、被災して祖父と二人で暮らすニコラ少年のサッカーボールを探す数日間が描かれています。Paula Fariasという女性作家の「Dejarse llover」という原作の映画化ですがスペイン語のみのようです。残念。
ボスニア紛争は、第二次世界大戦後の最も悲惨な3年間とも言われる戦争です。が、この映画では悲惨な部分にはほとんどメスは入れません。観客を煽ることなく、ユーモアをふんだんに交えた丁寧なドラマとなっています。ちなみに、この作品はカンヌ映画祭での上映後、5分間にも及ぶスタンディングオベーションを得る程の好評価でした。監督はスペイン人の新鋭フェルナンド・レオン・デ・アラノア(Fernando Leon de Aranoa)で、初の英語作品(= 世界向け作品)です。
主な舞台は山岳地帯、ヨーグルトとユーモアで有名な村。人々は他愛もないことで肩を叩き合いながら笑い合い、同郷の有名なコメディアンを誇りに思い。戦争を持ち込んだと考えられている外国人であっても、ユーモアを共有できれば友人として迎えてくれます。ユーモアは元々厳しい環境で暮らすための生きる術の一つであり、戦争の空しさをやり過ごすのにも有用なのです。
「国境なき水と衛生管理団」は、ワイパーの後がくっきり残り、砂埃で汚れているのか、最初からその色なのかわからなくなっている2台の4WDで移動します。時々、道路の真中に牛の死骸が横たわっており、よく見ると誰かが引きずってきた後が見えます。実は、これは罠で、何処かに地雷が仕掛けてあるのです。右の迂回路か、左の迂回路か、はたまた、牛の死骸の下か。これに出逢ってしまったらロシアン・ルーレットのように1/3の確率に掛けて前進するか、元来た道を引き返して別の道を探さなければなりません。4人がどの道を選ぶかは、映画を観てのおたのしみです。
また、道路だけではなく、丘の中腹やら、壊れた家の中やら、そこかしこに地雷が仕掛けてあり、人々は、基本的には気軽に移動する事ができません。しかし、牛を放牧(散歩?)させる老婦人は、のろのろ、くねくねと歩く牛達の後をついていきます。UN(国連平和維持軍)の兵士達がハラハラしながら見守る中、いつもどおりの平常心で。牛に地雷を避ける能力があるかはわかりませんが、万が一の場合でも、少なくとも先に歩く牛が何頭か犠牲になり、彼女はしばらく耳がキーンとなる程度で済むのでしょう。外国から来た、戦車やらヘルメットやら、そういったたいそうな装備の兵士達からいちいち許可をもらう必要はありません。生来ののどかさは、必要なら地雷との共存も可能にしてしまう程強く、主人公達が右往左往している中をたまたま通りかかるこの老婦人が、実はこの映画で非常に重要な役割を担うというのも大変面白い脚本です。
国境なき水と衛生管理団
国境なき水と衛生管理団のメンバーは全員国籍が異なります。
- スペイン人「マンブルゥ」:ベニチオ・デル・トロ(Benicio Del Toro)
- アメリカ人「B」:ティム・ロビンス(Tim Robbins)
- ウクライナ人「カティヤ」:オルガ・キュレリンコ(Olga Kurylenko)
- フランス人「ソフィー」: メラニー・ティエリー(Melanie Thierry)
- ボスニア人通訳「ダミール」:(Fedja Stukan)
1人ずつ紹介してみましょう。(ダミールは省略、代わりにニコラ。)
ベニチオ・デル・トロ
チームのリーダーで女たらしのベニチオ・デル・トロ。この人は表情が豊かで、特に無言の演技が卓越しています。個性的で、どちらかというとこわもての顔つきでありながら、多種多様な役柄をこなせる演技の上手さがここでも出ています。今も旬だし、老いてもきっと旬の俳優さんであり続けるでしょう。過酷な環境では口飲みで廻すのがあたりまえの酒瓶も、新米のソフィーを慰めるために差し出す際には水筒のコップを丁寧に拭いてあげるという憎い演出。このへんのちょっとした優しさも見逃せません。
ティム・ロビンス
い つの時代のどんな場所であっても、そこに暮らす人達にとっては戦争は悲惨で空しいものです。現場でのボランティアに長い間従事している者には、無力感から くる諦念が生まれてきます。この諦念に対処するためには、使命感と同じくらい、そして、地元の人々とも同様に、ユーモアが有用です。特にティム・ロビンス はボサボサの白髪、こどものような目つき、気の利いたジョークの連発でこの映画のスパイスとなります。本作同様にスペインで製作された英語の映画『あなた になら言える秘密のこと』(2005年)もボスニア紛争を題材としており、ティム・ロビンスが出演しています。これは偶然だけではない何かがあるかもしれ ません。
オルガ・キュレリンコ
オルガ・キュレリンコは、ボンド・ガールのイメージからいまだに脱出できず、昨今、似た様なアクション映画で残念なお仕事が目立っていますが、今作は良いキャスティングです。演技力は別として、荒涼たる地の気丈な花の役柄にぴったりでした。
メラニー・ティエリー
新米で、無邪気ともいえる純真さと大志を抱くソフィーは、戦争の現実、特に空しい側面を経験します。同じフランス人のジュリエット・ビノシュを彷彿させる目の間隔。ソフィーの役柄は観客である我々の目線に近いものです。この映画の観賞後、我々も世界に対してちょっとだけ強くなっているかもしれません。
ニコラ
貧しい国の子供たちが着ている服が大きめなのは、姉妹兄弟からのお下がりか、成長するのを見越してあらかじめ大きいサイズの服を着せられているからでしょう。この映画で登場するニコラも同様です。彼が強くあるための武器はユーモアよりも、大人びた思考と発言です。果たしてサッカーボールはやっと手に入りますが、すぐに売ってしまったその訳は...?
音楽について
音楽に就いても少々言及する必要があります。
タイトルの「A perfect day」は、ルー・リードの曲のタイトルを思い出す方も多いでしょう。ラストシーンで絶対にこの曲がかかると思ったのですが、まさかのピーターポール&マリーの「Where have all the flowers gone」で、しかもマレーネ・デートリッヒのカヴァーでした。ミスマッチの妙。よい選曲です。カヴァーといえば、ユーリズミクスで有名な「スィート・ドリームス」のマリリンマンソンのカヴァーもかかるし、前述のルー・リード(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)の「Venus in Furs」も使われています。どれも楽しい選曲でありながら、ここぞというシーン(車庫にサッカー・ボールを探しに行く緊張のシーンなど)ではきちんと映像とシンクロしたサウンド・トラックになっているのも好印象です。
この映画が語る事
ロープは「助け」の象徴です。実際、ロープはあちこちで見つかりますが、様々な不可解な理由で、彼等はそれを手に入れる事が出来ません。ボランティアとして結局何も成し遂げることができなかった異国の4人は、無力である事を証明することになります。しかし「無力」ではあっても「無意味」ではありません。1人の少年の人生が変わったかもしれないし、村人たちに、おかしな外国人たちの伝説を残したかもしれないし、経験を生かして次のミッションでは何か出来るかもしれません。
牛とともに歩いていた老婆が奇跡を運ぶラストシーンは素晴らしいエンディングです。
前述、ルー・リードの「A perfect day」の歌詞には、以下の様な部分があります。
完璧な日とは、
動物園で動物達にエサをあげて、
それから、映画館で映画も観て、
それから、家に帰ること。
まさに、そんな日、映画館で観るのがこの映画なら、パーフェクトです。
面白会話メモ
ティム・ロビンスがベニチオ・デル・トロへの無線での会話。(ロープは売っていたが、不可解な理由で売ってもらえなかった。ので、手に入っていない。)
「ロープはあったが、なかった。 / There was rope. But Ther's no rope」
ティム・ロビンスがオルガ・キュレリンコを見て、ベニチオ・デル・トロに向かって、ささやく言葉。
「わお、彼女をどこで見つけて来たんだ? 彼女は国境なきモデルか? / Shit, Where did you get her? Models without borders?」
通訳のダミールが、お役所仕事のUN(国連平和維持軍 - Unaited nations )に頭に来て叫ぶ言葉。
「お前らここで意味のないことをやってるんだよ!国連意味無し軍だな! / You do nothing here. United nothing! You're nothing!」