IMDb 7.5 / 10 | IN MOVIES 8.0 / 10| 124min| 2016年6月3日(金) 日本公開
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ビリー・ホープのタトゥー・入れ墨(7カ所)
映画の中のビリー・ホープ(ジェイク・ギレンホール)の身体には7カ所ものタトゥーがあります。叩き上げ感、気合い、家族愛満載で、今迄のボクシング映画との決定的な違いでもあります。
- 右腕:「Fighter」(闘士)
- 左腕:「Father」(父親)
- 首後:「Maureen」(モーリーン・妻の名前)
- 背中:「Fear no Man」(誰も恐れない)
- 左胸:「Leila」(レイラ・娘の名前)
- 右胸:「2・10・2004(実際はローマ数字)」アメリカ式に読んで2004年2月10日。おそらくレイラの誕生日でしょう。(モーリーンの墓石には1980年10月2日生まれ2014年4月11日死去と刻まれているので、イギリス式に読んで2004年10月2日、モーリーンとの結婚記念日の可能性もあります。)
- 右首:ツバメの絵(モーリーンも右首にお揃いのタトゥーがあります。ツバメのタトゥーは、古くはセーラー達が航海から無事に帰れるという願いがあり、昨今は良い事が起こる前兆の象徴とされています。)
映画「サウスポー」の中での試合は全部で4回。
第1試合:ビリー・ホープの今までの生き方。
冒頭いきなりはじまるマディソン・スクエアガーデンでのライトヘビー級タイトルマッチ。
43勝0敗。ニタニタ顔で打たれ続けるビリー・ホープ。打たれ続ける事で打ち返す力と怒りのパワーが生まれるボクサーであり、実は孤児院の悲惨な状況から這い上がってきた自分自身のストーリーをリングで繰り返しているからです。この不器用な戦法以外に闘い方を知らないまま彼はチャンピオンまで上り詰めました。
第2試合:妻損失後の欠損状態。
妻の死後、損失感と悲しみに支配され、目的もなく、人間としてとして不完全。そのため闘争も不能。悲惨な顔で打たれ続けるビリー・ホープ。この映画で唯一の負け試合です。
第3試合:チャリティーイベント。
ティックをトレーナーとして迎え、ビリー・ホープ再生へのイントロともいえる試合。会場が教会というのも象徴的。「あれれ、俺、勝っちゃった」という顔が面白い。どん底からの大きな一歩。
第4試合、ラスベガス、宿敵エスカヴァー戦。
試合後。父として、ファイターとして生きる準備が完了します。
映画「サウスポー」は依存と解放の物語。
妻の葬式の後、娘と父親は別々に帰宅します。家の中の空気もどこかよそよそしい不完全なものに一変してしまい、それぞれの想いで別々の部屋で過ごします。自然と距離が離れるのは、妻が3人を繋ぐ存在だったから。
妻モーリーン(レイチェル・マクアダムス)は冒頭の30分ほどしか出演しないのですが、映画の最後まで強い印象と影響を残します。残された家族がいかに彼女に依存していたか、そしてどのように再生するのかを考えてみましょう。
妻と夫
相互の(または片方の)依存が強すぎる愛は、お互いの良い面を伸ばし、欠点を補い合うという理想的なパートナーシップである代わりに、自分自身で欠点を克服して独立した人間に成長する事が不要になってしまう側面もあります。
ビリー・ホープ(ジェイク・ギレンホール)は、孤児院からの成り上がりです。優しく、ピュアですが、些細な事で集中力がなくなり短気になる。簡単に言うと、腕っ節は強いが精神的には子供。そして孤児院時代からの付き合いの妻、モーリーンはビリーの腕っ節以外の面倒を一手に引き受け、いわゆる二人三脚で地位と財産を築いてきました。が、理想的すぎる二人の関係は、ビリーの精神的成長を後回しにするのを良しとしていたのです。言い換えると、それがモーリーンの死の原因であり、モーリーンの死はビリーが成長するための犠牲であるとも言えます。
娘
妻の血を引く娘レイラは、チャリティ・イベント(試合ではなくディナー・イベント)のスピーチの練習が上手く行かない父親がクローゼットで狼狽えるのを見て、顔に陰りを見せます。父に対するわずかな不信感と、悲劇の予感を既に抱いていたのです。賢い子です。
通常、子供が親を客観視する時、親に対して尊敬や信頼ができなくなる時の拒否反応は、反抗期特有のものですが、レイラの場合は母親の死を境に、強制的に放り込まれた環境で生まれたものです。メイドのいる豪邸から一転して施設暮らしになり、父親からも引き離され、大人になる事、世界を客観視する事を強いられた結果です。レイラは自分が母親の代わりになる事を予め母親自身から聞いて知っており、直感的にもいつかは自分がその役割を果たす適任者となる事を知っていましたが、母親との突然の死別が、まさにそのときであるとは思ってもいなかったのです。
レイラはビリーから「もう一度試合に出る」と言われた時、自分が母親の代わりに試合の現場にいなければならないと即答します。父への役割に目覚めた時で、母への依存から解放されたときです。
ティック・ウィルソン
「妻はあんたを気に入るだろうなぁ。」タイトル戦を前にした6週間の訓練がはじまった時、ホープがトレーナーのティック・ウィルソン(フォレスト・ウィテカー)に言う言葉です。妻の損失感と自己否定に苛まれていたホープが妻を客観視できた時であり、つまりホープが妻から解放された瞬間です。このあとからビリーは一気に成長します。ホープにとってはボクシングでも人生でもティックが新しいマネージャーになった訳ですが、いままでとはその目的と方法が全く異なる新たな闘い方を学んでいきます。
ボクシングの新たな闘い方
今までは、富と家族のために戦い、もう一度ハングリーに戻るまでリングで打たれ続けました。良い意味でも悪い意味でも動物の戦い方です。ティックは勝つための分析と必要な訓練を彼に行いました。(実際、プロとしては当たり前だと思いますが。)
人生の新たな闘い方
妻はビリーに対して過保護でしたが、ティックは突き放します。ビリー自らが気がついて、自身の成長を促す方法です。ああしろ、こうしろと言うのではなく、ジムで不幸な子供たちを真っ当な人間に育てるのと同様に、自分で考えさせるのです。バーで椅子を投げ倒したビリーに向かって言う次の言葉が印象的です。「何故ここにお前がいるかわかるか。何故お前の妻が死んだかわかるか。お前のそれが原因なんだよ。」
冒頭シーンとラストシーン
この映画「サウスポー」では冒頭シーンとラストシーンが繋がっています。
冒頭シーン。第一試合の前、控え室でモーリーンは「うん。うん。準備できてるみたいね」と言いますが、ビリーは何も言いません。モーリーンをじっと見つめるだけ。自分の事がよく分からなかったから答えられなかったのです。(モーリーンが準備できてると言うからには、彼もそのとおりだと信じていました。)
この会話の続きはラストシーンまで持ち越され、第4試合の後に、ビリーが自分自身の判断でやっと「準備できたよ」と泣きながら何度も呟くシーンに対応します。
もう一つ。映画「サウスポー」の冒頭は前述のとおり試合前の控え室。そしてラストシーンは試合後の控え室。カメラは控え室のドアから廊下をどんどん引いていき、最後には真っ黒になってエンド・ロールヘ。はい、これでこの物語は終わりです。めでたし。めでたし。というきれいな纏まりです。モーリーンを撃った犯人(実はエスカバーの兄弟なのですけれど)などどうでもいい程に、物語は昇華され、ビリーの再生に焦点が当てられています。エンタテインメントとは、このように予定調和で、かつ、きちんと内容のある映画のことなのだという充実感が残ります。
キャスティング・メモ
ジェイク・ギレンホールの筋肉と演技には驚きの一言です。役者魂ですね。
娘役のウーナ・ローレンスも難しい年頃の繊細さがよく出ていました。ここ数年出演作も多くなっていて、2016年1月にアメリカ公開された「Lamb」もなかなか良作です。
レイチェル・マクアダムスは「スポットライト」と正反対のボディ・コンシャスなワンピース姿でしたが、どんな役柄でも安心して見ていられる上手さです。
50セントは微妙な演技力ですが、見なれた脇役俳優さんで無難に収めるより、この映画ではちょっと不安定なくらいの色物に近い出演者がいることも良い効果だったかもしれません。
映画の丁度中盤で登場するフォレスト・ウィテカーは完全に丹下段平(あしたのジョー)状態。何も言う事がないほどのベスト・キャスティングです。独裁者役よりも何故かニューヨーク・ブルックリンが似合う人です。名作「スモーク」の印象がいまだにあるのかもしれません。
施設の担当は007でマニー・ペニーになったナオミ・ハリス。知的な役柄が合う女優さんですね。
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