映画「コロニア」全力疾走のエマ・ワトソン。もう一度観るためのネタバレ・詳細レビュー / by abou el fida

IMDb 7.1・IN MOVIES 7.5・110min・2016年9月17日(土)日本公開

あらすじ

1970年代、実存した南米チリのカルト教団施設「コロニア・ディグニダッド」に、ドイツのルフトハンザ社キャビン・アテンダントのハーマイオニーじゃなくて、レナ(エマ・ワトソン)が、単身潜入。その理由はボーイフレンド、ダニエルを救うため、、、脱出劇はフィクションながらも、真に迫る緊張感と、レナの気丈さ、行動力、忍耐力と根性に感動します。

全力疾走のエマ・ワトソン

見どころは「全力で走るエマ・ワトソン」です。映画の中で6回も全速力で走っています。アクションがほぼないので、これら全力疾走が映画に躍動感とメリハリを付けます。内容はともかく、独立した映像としても、エマ・ワトソンの全力疾走はなんだか一生懸命さがすごく出ていて気持ちのいい風景です。

1回目の全速力:チリの兵士からダニエルと一緒に逃げる時。

2回目の全速力:コロニア内、就寝後に仲間(ドロテア)が連れ去られた行方を密かに追う時。

3回目の全速力:ドロテアへの暴行を窓から覗いているのを見つかって逃げ帰る時。

4回目の全速力:コロニア滞在131日目の昼、教祖パイアスに呼び出されたとき。このときが一番長距離。

5回目の全速力:コロニア滞在131日目の夜、コロニアからダニエルと一緒に逃亡する時。

6回目の全速力:空港でのラストシーン。

チリの兵士からダニエルと一緒に全力疾走。

チリの兵士からダニエルと一緒に全力疾走。



エマ・ワトソンのファッション

コロニアの中では禁欲的で、ボタンをいちばん上までかけたシャツと、ひざ下まである長さのドイツの伝統的なエプロン・スカート姿。身体の線を出さない様に胸にサラシを巻きます。

一方、外界では70年代のファッションを意識したシンプルなワンピースでほぼ統一しています。どれも下品にならない程度にタイトで、丈は短め。大人感というか、なんとなくキャビン・アテンダントさんが次のフライトまでの数日間を異国で過ごす際の服装っぽい雰囲気が出ています。ラフに着こなしていますが、エマ・トンプソンだけのためにきちんと採寸されたオーダーメイドでしょう。

1着目のワンピース:オープニング:ルフトハンザの黄色い制服(当時の制服を忠実に再現した様です)

2着目のワンピース:ダニエルの部屋で写真を見ているとき。オリエンタル柄の部屋着。

3着目のワンピース:ダニエルと一緒に抗議集会に行ったとき。赤に白の花柄。

4着目のワンピース:その翌日の朝食から軍隊に捕まるまで。白地にペイズリー。この姿で全力失踪。

5着目のワンピース:脱出後に大使館から与えられた、まぶしい程に真っ白なワンピース。これでも全力疾走。

コロニア
コロニア
コロニア

左は1970年代のルフトハンザの制服。右は映画のエマ・ワトソン。


男女の格差について

ダニエルはレナに助けられたときに「君に貸しができたね」と言います。一般的には、女性が男性に助けられた場合のセリフは「ありがとう」です。あえて「貸し」という単語を使うあたりに「女性が男性を助ける」事を意識しているのがわかります。
また、コロニーの中では、男女が顔を合わせる事がない様に完全隔離されており、女性は畑での重労働を強いられるのに対し、男性は教祖の取り巻き等を中心にへらへらしている奴らが目立ち、歴然とした性差別を描いています。集会においても男性には椅子がありますが、女性は無機質な部屋で全員が立たされてスピーカーからの声を聞きます。

教祖パイアスの男の子趣味もそうですが、映画の中では具体的に描かないながらも、いや、具体的に描かないからこそ、性の在り方について意識させる内容になっています。後述の「エマ・ワトソンについて」でも記しますが、男女平等とジェンダーについて国連で演説するほどのエマ・ワトソンならではともいえるでしょう。


邪悪権力 vs キャビン・アテンダント

コロニア・ディグニダッドは、当時のチリ政府であるピノチェト軍事政権とも強力な繋がりがありました。このため、コロニア施設からなんとか脱出しても、チリ国内にいる限り、政府が絶対的な権力を行使して脱出を阻止しようとします。

さて、レナに残された手段は何か。

詳細は見てのお楽しみですが、本来、個人レベルでは到底かなわない巨大な邪悪権力との勝敗を、飛行機の機長の決断に委ねてしまうという、ちょっと無理矢理な脚本です。が、それまでのコロニア内の陰湿な雰囲気から一転して空に向かう解放へのエンディングはエンターテイメント映画として単純に痛快です。
きっと、レナはパイロットからも頼られる有能なキャビン・アテンダントだったのでしよう。この物語はルフトハンザの到着ではじまり、ルフトハンザの出発で終わります。レナの滞在中に起きた悪夢のようなお話しなのです。

コロニア

話ができない状況での手を握り合うシーン

レナとダニエルが隠れて手を握り合うシーンが2回あります。物語の大変重要なターニング・ポイントになる瞬間なので、是非意識してご覧ください。

1回目の手と手:冒頭、秘密警察に捕まった大勢と一緒に並ばされている時。恋人同士の甘い時間から、今後の不穏な予感へ。幸いにも多くの人々に囲まれていた二人に出来る事は手を握る事。二人の分離、試練へと向かう寸前の時です。

2回目の手と手:コロニア内で要人を迎えるミックス・パレードでの突然の再会。ほとばしる程の感動だが表に出せない。幸いにも多くの人々に囲まれていた二人に出来る事は手を握る事。絶対に二人で脱出しなくてはという確信、未来へ進むパワー・チャージがされた時で、この後、物語は急展開していきます。


DAY1〜DAY132

レナがコロニア・ディグニダッドで過ごしたのは132日間。約4ヶ月半。強力なストレスの中で自分がしっかりとしていられる限界の期間かもしれません。映画の中ではこの132日間を8章に分けて描き、それぞれの章の最初で内容とリンクした建物の設計図が映し出されていきます。

Day1

コロニア・ディグニダッドの入口の門扉の図面。現実にある門扉にかなり忠実に作られています。
見張りの塔からの視線は誰なのか。寝泊まりをする女性宿舎は8人部屋で6人が既に生活中。レナが加わって7人になりました。
殺風景な軍隊の兵舎の様でもありますが、それを遥かに上回るプライバシーのなさと質素さ、居心地の悪さです。

就寝前、得体の知れない薬が全員に配られます。レナは(よく見るとわかるのですが)薬を持ち替える振りをして飲んでいません。この後、レナが毎晩配られるこの薬をどうしていたかのエピソードは抜け落ちてしまっていて残念なのですが、おそらく編集されてしまったのでしょう。一方、ダニエルはマットレスの中に大量にこの薬を隠していたことが後に判明します。

Day2

女子居住舎の図面
炎天下、広大な畑での少人数の芋堀。ポール・ニューマンの名作「暴力脱獄」を彷彿とさせる強制労働のシーンです。

Day9

病院、犬舎、大ホールの図面。真中の広場は集会所。
パイアスによる死者の弔い。神がパイアスを通して死者を蘇らせるべく熱狂的にしゃべりまくる儀式。この茶番劇で信者達は皆トランス状態になりますが、もちろんレナは冷静。そしてもう1人、冷めている人が、、、

Day37

鉄工作業所 暗室 鍛冶場の図面。そして奥に地下へ続く階段が!
1ヶ月以上が経過して、遂にレナがダニエルの姿を発見します。本当は正気ですが、拷問によって精神崩壊者になってしまった振りをするダニエルの演技が秀逸。

Day38

大ホール。男達のための33名分の椅子が描かれた図面。
沢山の男達の前に1人座らされるレナ。大ピンチです。それを知らないダニエルの単独脱出シーンの同時進行。レナが愛のために自ら飛び込んだ地獄の地で、その場所が勘違だったのかも、1ヶ月以上の努力が無駄だったかもしれないと思うその瞬間です。しかし、レナは泣き叫ぶどころか、じっと見据えて一言も発しません。カルト教の異常さに対抗する彼女の不屈の精神が見どころです。

Day 130

7人部屋の男性宿舎。女性宿舎と異なり窓が広く、戸棚やシャワールームもある。不自然に広い洗面所等が描かれた図面。
パンツのみの少年達の歌声に恍惚となるポール・シェイファー。児童に対する性的虐待を連想させる映像ですが、具体的には描かれません。この映画とも同じ2015年の公開だった映画「スポット・ライト」の記憶がよみがえります。

Day 131

監視塔と犬舎の後ろを突っ切って外に続く秘密のトンネルの図面。
脱出決行のとき。

Day132

コロニアの敷地地図。
日付が変わっても脱出劇は続きます。

コロニア


キャスティング・メモ

エマ・ワトソンは1990年生まれ。10歳からほぼ10年間にわたってハリー・ポッターシリーズに出演し続けました。その後、いくつかの青春映画のようなものに出演して、国連で拍手喝采のスピーチ(このページ一番下に実際の11分間のスピーチ、日本語字幕入りの動画を貼りました。最初は緊張していた様子から、だんだんと落ち着いてきます。スピーチの内容も良いし、何と言っても原稿を一切見ていない事に驚きを通り越して感動してしまいます。)をこなして分別ある立派なセレブの仲間入りを果たし、ついに本格的な女優として歩み始めた作品が2015年公開のこの「コロニア」です。尚、同じ2015年、アレハンドロ・アメナーバル監督作品の「レグレッション」という映画でやはりカルト教サスペンス映画でイーサン・ホークと共演しています。前評判は同じ位でしたが「コロニア」の方が断然おすすめです。
彼女がこの作品でハーマイオニーのイメージから脱却したいと思っていたとしたら、十分に成功しています。細身ながら芯の強いひたむきな表情、一見地味にも見えますが、その眼光は鋭く、「あのハリーポッターの、、、」という過去の形容詞は全く不要だと主張している様に見えます。そうそう、エマ・ワトソンは、2017年公開、ディズニーの実写版「美女と野獣」の主演が決まっております。こちらでも大々的にブレイク必至ですね。

共演のダニエル・ラドクリフじゃなくて、ダニエル・ブリュールは、F1のニキ・ラウダ役からシビル・ウォーで悪役を演じて、今作では裸エプロンが印象的でした。女性ファンが増えることでしょう。個性と存在感のある俳優さんで、今後も硬派な作品に出演してくれるはずです。


音楽について

前半のみ流れる60〜70年代の選曲が粋です。きっとこの3曲のためにサントラが欲しい人もいるはず。


タイトルロール:

エイント・ノー・サンシャイン / ビル・ウィザース(1971)

ダニエルの部屋にて、その1:

トライ / ジャニス・ジョップリン (1968年)

ダニエルの部屋にて、その2:

君に捧げるサンバ(Samba PA Ti) /サンタナ (1970年)
 



コロニア・ディグニダッドについて

ナチスの衛生兵だったパウル・シェーファーが、戦後、子どもへの性的虐待の罪で祖国ドイツから逃れたチリで1961年に設立したのがコロニア・ディグニダッド。表向きは慈善団体。詳細はまだ謎の部分が多いのですが、約4万エーカーという広大な敷地でコロニーを作り、ピノチェト軍事政権下では拷問施設としても使われ、多くの人たちが犠牲になりました。隠されていた戦後の悲劇です。子どもへの性的虐待はコロニーでも行われており、1997年にパウル・シェーファーはふたたび逃亡、2005年に逮捕、2010年に刑務所内で死亡しています。
パウル・シェーファーの逃亡以降、実質的に終焉を迎えたコロニア・ディグニダッドは、その後、情報公開と謝罪を行い、「ヴィラ・バヴィエラ(Villa Baviera)」と呼ばれるようになり、現在も存在しています。

コロニア・ディグニダッドは「Bavaria Village」にてグーグル・マップでも実際に検索可能

実際のコロニア・ディグニダッドの門扉

実際のコロニア・ディグニダッドの門扉

2005年、インターポールに囲まれるパウル・シェーファー

2005年、インターポールに囲まれるパウル・シェーファー


カルト教団について

絶対的なものへの献身や自己犠牲は、自己防衛で現実逃避である。

人間は、自らの弱さや不完全さ故、より完全なものや超越的なものを欲し、憧れます。より完全なもの、超越的なものとは一般的に「神」であり、欲し、憧れる気持ちは「信仰心」と同義である事はいうまでもありません。
自らの不完全さや弱さ(ストレス)に自分自身で対応できなくなる時、信仰心は増幅し、やがて我を忘れるほど切望するようにさえなることもあります。信仰に頼ること(場合によっては神頼みをすること)で、自分のストレスに対応しなくてもよくなるからであり、弱さが引き起こす自己防衛手段の一つで、現実逃避にも繋がるものです。

人間は完璧ではありません。弱さや不完全さは事実であり、それに向き合い、時には息抜きもしながら挑戦し続けるのが有るべき姿のはずですが、極端な信仰心はその挑戦を回避するための非人間的な手段であるともいえるでしょう。

例えば身体の栄養バランスが崩れれば抵抗力が弱まってウィルスに感染する様に、精神が弱まっていく時につけ込むのがカルト教団です。彼等は信仰を捏造し、弱い者の心の隙間に偽善の力で押入り、心身ともに奴隷としてしまう暗黒の力です。忘れてはならないのはこの暗黒の力も普通の人間自身が元々持っているものであり、それも人間の不完全さであるというパラドックスです。

瞑想中に空を飛んだとか、手を触れたらガンが直ったとか、死者の世界に行ってきたとか、宇宙エネルギーと交信したとか、宗教的な奇跡と呼ばれるものは、誰も公に証明していないという意味において、信じる者の心の中で完結する出来事でしかありません。いちど教祖の奇跡を信じる心になってしまうと、今度は信じ続けるための労力が必要です。信じ続けないとそれまで信じていた自分の自己否定に繋がるからであり、奇跡が起きないのは自分が未熟だから、まだ信仰心が足りないからという教えのもとに、奇跡が起きなくても信じ続ける事が出来るばかりか、その永久運動のような思考法により、信仰心は更に強くなっていくのです。
映画の中では、閉ざされた空間で限定された情報を執拗に繰り返し与えていたし、従順さを強め、凶暴性を削ぐ安定剤のようなものを毎晩飲ませることで更にその効果が深めていました。こうなると集団催眠です。

別の角度でみてみましょう。大抵のカルト教団の教祖は太り気味で、一方信者達は栄養失調のごとく痩せています。富や権力の集中によるピラミッド。どんな世界でも同じですが、ピラミッドの裾の人々からは頂点があまりにも遠すぎて妄想するしかありません。裾の人々は、裾の世界のために予め操作された情報に溺れた日々を知らずに過ごしているのです。頂点付近に近寄ってよく観察してみると、あまりにも栄養が行き渡り過ぎたごく少数の(象徴的にも実際の容姿においても)肥え太った者たちが居座っており、下々とは全く異なった風景の中にいるのがわかります。ストレスを生み出し、その救いを神に求めるシステムを作ったのは彼等です。この映画と同じ年、2015年にアメリカで公開されたノーム・チョムスキーのインタビュー映画「Requiam for the Amerian Dream」(Imdbで8.3)では資本主義の大きなピラミッドも同じようなものだと言っています。

映画「コロニア」131日目、ウルセルのセリフ、「ここ(コロニア)には何もきちんと説明できる事なんかないわ。パイアスの愛する世界でしかない。権力を振るう事や少年達の音楽に陶酔する事がパイアスの地上の楽園なのよ、、、」コロニアの信者達はパイアスの楽園実現のために居るということです。パイアスは部屋着のような毛玉のついたセーターを着ている事が多く、どこかオタク的な雰囲気もあります。彼にとってコロニーは自分の家の居間や庭であったのでしょう。


最後に

実際に犠牲になった人々にも捧げられているこの映画「コロニア」は、歴史が葬られ、忘れ去られることの無き様、事実の記録としての役割と、クォリティの高いエンタテインメント性がバランス良く合致した、時代を超えて鑑賞されるべき優れた作品です。