IMDB 8.0・IN MOVIES 8.0・「メッセージ」原題:ARRIVAL・2017年5月19日(金)日本公開
2023年1月再鑑賞しました
なんと、5年以上経った今頃、以下の本がリリースされることになったので再鑑賞。自分の子孫にプレゼントする気持ちで予約購入決定。
せつなく美しい映画です。いや、我々自身がせつなく美しい存在であることを思い出させてくれる映画です。自身を客観視し、今この瞬間を愛おしむ大切さを思い出させてくれる映画だったのでした。
当初観た時も同様に感じたはすなのに、新たに痛感してしまったのは、日々の忙しさや、即物的な感情に追われ(汚れ)、今を大切にする気持ちが後回しになってしまっていたからでしょう。プラトンの言葉を思い出して反省。
What if the man could see Beauty Itself, pure, unalloyed, stripped of mortality, and all its pollution, stains, and vanities, unchanging, divine,...the man becoming in that communion, the friend of God, himself immortal;...would that be a life to disregard?–Plato.
もし人が、美そのものを見ることができたら? ピュアで、無垢で、死ぬ運命や人生のもろもろの汚れやしみや虚栄から自由で、不変で、神々しい美そのものを。人はそのとき、神の友となり、彼自身、不死の身になる。・・・そのように生きられる生を、おろそかにしてよいものだろうか? - プラトン
以下は、公開当初2017年5月のブログです。
哲学的SFの直系
映画「メッセージ」は「2001年宇宙の旅」と「惑星ソラリス」を彷彿させる哲学的SFの直系です。
「2001年宇宙の旅」の直方体のモノリスと、この映画「メッセージ」の宇宙船は、それらが象徴するものが同じです。人間という種が成長し、進化の次のレベルに達するときの象徴。それは神が立ち会う瞬間であり、人間には及ばない能力の象徴でもあります。
「惑星ソラリス」(特にタルコフスキーの方)との類似は、我々人類が、我々自身を客観視するための触媒として異星人が登場する事です。映画が描きたい主人公は人類であり、そのための脇役として異星人が登場するのです。異星人の姿や、思考法などは人間には理解不能、できるだけ不明瞭に、わかり難く、突拍子もないもので、そこに意味を見出すことはあまり重要ではありません。「惑星ソラリス」では生物と言っていいかどうかもわからない海のうねりでしたが、映画「メッセージ」では、双方向性を象徴した姿や音声が異星人に与えられており、良い意味で取っ付き易く、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督らしいエンターテインメント映画としてのクォリティも非常に優れています。
ヘプタポッドは能力の制限がある人間とは真逆な異星生物です。文字も時間の概念も非線形であり、現在、過去、未来という線形の時間に縛られる人間とは異なる、解放された次元に存在します。特に顕著に表現されているのは、エイミー・アダムス達が彼等の宇宙船に乗り込むシーンで、上下縦横の区別がわからなくなるシーン。鑑賞している我々でさえ、方向感覚が麻痺するような錯覚を感じ、我々には理解できない世界に入っていく様がよく表現されています。
ヘプタポッドからの贈り物
ヘリコプターで基地に向かう途中(現場にヘリで向かう際の上空からの俯瞰映像は「ボーダーライン」と同様です。これからいよいよ物語がはじまるんだという期待感。ドゥニ・ヴィルヌーヴの作品である事を意識させる演出)で、ジェレミー・レナーがエイミー・アダムスの執筆した本を音読します。
「言葉は文明の基礎であり、人々の協力関係を促し、更には闘いにおける最初の武器でもある。」ヘプタポッドの飛来以前にエイミー・アダムスが執筆していた本ですが、「武器(Weapon)=言語」であるという答えが既に語られています。
更に、ヘプタポッドは「武器は時制を解放する / Weapon opens time」と言います。
ヘプタポッドの言語が人類への贈り物(=Weapon)であり、それを理解する事で、人間は進化の次のレベルに到達するのです。それがどんな次元なのかは具体的に描かれていませんが、ラスト間近、全世界の人々が協力し合うことになった祝賀会のシーンにて、人々の協力関係を促しているのを雄弁に物語っています。尚、このときに飾られている各国の国旗とともに、ヘプタポッド語が記された旗がひときわ大きく飾られており、その意味するところは「earth=地球」です。
エイミー・アダムスが未来に執筆するヘプタポッド語についての本の題名は「Universal Language / 世界共通言語」。ヘプタポッドからの贈り物は書物として遺り、それを世界共通言語として学ぶ人類は進化の次のレベルに到達し、3000年後までには、ヘプタポッドを救えるような存在となれるのでしょう。
ところで、エイミー・アダムスが未来を見えるようになっていく具体的な様子や感覚は映画の中では描かれていません。原作「あなたの人生の物語」に書かれている表現を抜粋してみましょう。
「ヘプタポッドB(ヘプタポッド言語)にとりくむなかで、わたしはまったく異質な経験をしていた。自分の思考が図表的にコード化されるようになってきたのだ。(中略)さらに堪能になるにつれ、意味図示文字の構造は、複雑な概念までも一挙に明示する、完全に形成された状態で現れてくるようになった。(中略)それは曼荼羅に似ていた。気がつくと、瞑想状態にあって、前提と結論が交換可能なやりかたで黙考している。」
「ときおりヘプタポッドB(ヘプタポッド言語)が真の優位を占めるとき、わたしはひらめきを得て、過去と未来を一挙に経験する。(中略)それは、わたしの残りの人生を抱含する期間であり、あなたの全人生を包含する期間でもある。」
ーあなたの人生の物語ー テッド・チャン、公手成幸訳
ノンゼロサムゲーム:まず自らを差し出す
人間達が着用する防御スーツは、未知のものに対する防御であるとともに自らを覆う殻の象徴です。防御スーツを脱ぐ事は自分をさらけ出す事。この勇気が対話の第一歩目になり、視野が広がる第一歩目です。言語学者であることや博識であることよりも自分をさらけ出す事がまず先。このシーンは感動的であり、人間にとって、本当に自らをさらけ出す事は時には命を掛けるほどの勇気がいるという表現なのかもしれません。エイミー・アダムスはこの後から未来が見える様になってきます。
ノンゼロサムゲーム(非ゼロ和)というキーワードがでてきます。簡単に言うと、全員が勝者になれる関係性です。逆に、ゼロサムゲーム(ゼロ和)は、勝者が生まれると、一方では敗者も必ず生まれる関係性。
当初、ヘプタポッドを前にして、地球の各国調査チームは協力し合う事を拒み、不安が限界に達したときには攻撃的になっていきす。ヘプタポッドを触媒として、人間は、矮小なナショナリズムと、ゼロサムゲームに縛られているレベルの存在でしかない事が露になっていくのです。
一方、ヘプタポッドの目的はノンゼロサムゲームです。エイミー・アダムスが防御スーツを脱いだとき、彼女もノンゼロサムゲームへの第一歩を踏み出し、「ヘプタポッド文字に関する情報をアメリカが進んで他国と共有しよう、それにはまず自国の情報を提供しよう。」というジェレミー・レナーの考え方もノンゼロサムゲームです。
冒頭とエンディングは繋がっている
冒頭のシーン。エイミー・アダムスは達観の表情です。それは人生を愛し、今を生きる決意の現れ。この映画の真意が込められています。
彼女は産まれたばかりの娘を見ながら、その娘が亡くなるシーンも同時に見えているのです。そしてこの冒頭の風景はエンディングの風景(ラストで二人が飲んでいた二つのワイングラスが冒頭のシーンにもあるのを見のがさないように!)と同じで、エンディングはそのまま冒頭のシーンにもつながります。
そして冒頭とエンディングでは音楽も同じ、ともにマックス・リヒターの「On the nature of daylight」。バイオリンが奏でる憂いあるメロディは、無限に続くループのようで、つまり、始まりや終わりの印象が希薄、この映画のコンセプトそのものです(音楽については後述します)。映画の構成自体が非線形で、途中のどこから見出しても、エンディングから冒頭に続いて、飽きるまで延々と見続ける事が可能です。こんな愉しい映画ですから、是非ブルーレイを所有して、いろいろな途中の場面から見始めてみたいものです。
ヘプタポッドを触媒として、エイミーアダムスは何を得たのか?
映画の最後の言葉は「Yes... Yeah」というエイミー・アダムスの決断の言葉です。交錯する未来の映像は彼女の頭の中で同時に見えているもの。全てを思い出し、全ての未来を感じながらの決断です。未来がわかるということは現在と同時に未来も生きているということ。現在と未来が同レベル、同じ価値を持つということです。
エイミー・アダムスの娘も時制を超える能力を受け継いでいました。それは粘度細工にヘプタポッドが登場するのを見ればわかります。冒頭の「I hate you 」の言葉は、おそらく自分の行く末を知った時、自分を産んだ母を憎んだ時の言葉でしょうか。
娘の苦しみを考えるのは辛い事ですが、娘がそう感じる事を知りながらも、その人生を受け入れる決断をし、更にその人生を愛する事のできる主人公に対し、我々はここに西洋の神ではなく、観音様のような慈しみの愛を感じます。
現実の我々には未来を知る能力はありません。普段は思い悩む事が少なく、ましてや健康ならば日々の大切さをあまり意識せずに時間が過ぎていくもので、それは、自分の幸福の期限を知らず、また、いつかは期限が来てしまう事を意識せず、まだまだ先まで大丈夫だろうという、都合のいい解釈をしがちだからです。
幸せの時間(娘を失うまでの時間)に期限がある事を知ったエイミー・アダムスは、それまでの一瞬、一瞬を抱きしめるように、今を切実に思い至るようになりました。それは、一瞬一瞬の儚さ(はかなさ)、もののあはれ、一期一会に通じる境地です。
時に縛られない自由は、すべての楽しみと悲しみを受け入れる代償が必要なのです。エイミーアダムスはヘプタポッドを触媒にそれを受け入れました。時に縛らる我々は、この映画を触媒として、時を意識し、いままでよりも今を大切に思う気持ちになれるかもしれません。
音楽についても少々
ヨハン・ヨハンソン / Johann Johannsson
おそらく全てのドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品で、音楽を担当しているのがヨハン・ヨハンソン。次作「ブレードランナー2049」も同様です。本作では地を揺るがす程の重低音と、ヘプタポッド登場時の雅楽の笙のようなサウンドが特徴です。娯楽大作映画のような壮大なテーマ曲はなく、映像に寄り添うサウンド・エフェクトに近い印象です。
ヘプタポッドBのテーマをはじめ、いくつかの曲には不思議なコーラスが入ります。これはドイツECMレーベルのヒリヤード・アンサンブルで有名なポール・ヒラーが指揮をしており、普段は古典音楽が得意ながらも、今回は新しい挑戦となったようです。映画の知的興奮の瞬間を盛り上げてくれる大変素晴らしいサウンド・トラックです。
Max Richter / マックス・リヒター
前述の「On the nature of daylight」が収録されているアルバム「The Blue notebooks」はマックス・リヒターの代表作です。
クラシック音楽の魅力は様々ですが、その一つに、心穏やかに思惟に浸れる時間を過ごせるという効果があります。都会に疲れた人々を癒す現代のクラシック・ブームの原動力がそれですが、マックス・リヒターはその部分に焦点を合わせた現代の音楽家です。エリック・サティやブライアン・イーノを中心とするアムビエント・ミュージックはどちらかというとドライでクールですが、マックス・リヒターはウエットで憂いに満ちています。
「The Blue notebooks」とあわせてご紹介したいのは2015年にリリースされた「SLEEP」。8時間半に及ぶ眠りのための音楽で、映画「メッセージ」の世界観にもかなり通じるものがあり、そのコンセプトからしてアート作品としての趣さえもあります。
データのダウンロード・ヴァージョンで切れ目なく8時間半たっぷり浸ってしまうか、CD9枚組のボックスセットを購入して物としても所有するか、更には1時間の抜粋ヴァージョンの普通のCDも用意されています。
マックス・リヒターの作品はどれもダイナミック・レンジが広く、特に低音の再生能力によっては曲の印象がかなり変わります。出来るだけ良い音質で再生される程、深い世界に入っていける事でしょう。
ドヴォルザーク / Dvorak
世界の首脳たちが集まった祝賀会で演奏されているのがドヴォルザークの「弦楽セレナーデ ホ長調 作品22 第4楽章ラルゲット」。ドヴォルザークの代表的な曲であるとともに、時代を超えて人々の心を癒してきた優美な曲です。サントラには収録されていません。
原作「あなたの人生の物語」 テッド・チャン
原作は短編集「あなたの人生の物語」のなかのひとつの短編です。「人が避けられない事態に対処する話のなかで、物理学の変分原理を使えるかもしれない」と思って執筆されたとのこと。他の物語も大変興味深い世界観のSFで、含蓄ある内容の読書が好みの方にはかなりおすすめです。
ソラリス
2001年宇宙の旅
ヘプタポッド語
最後にヘプタポッド語をいくつか遺しましょう。