IMDb 8.3/10 | IN MOVIEW 8.3/10 | 156 MIN | 2016年4月22日(金)日本公開
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木は生命。水は運命。
「木」と「水」はこの映画の重要なメタファーです。木は生命。水は運命であり神の意志です。
「木」
空を見上げるシーンが幾度も出てきます。そして空とともに必ず木々も映され、その時々の心情や状況を表しています。
- 前哨キャンプでインディアンに襲われたとき、大木が燃えながら倒れます。自然から毛皮を盗んだ者の行く末の暗示でしょうか。
- フィッツジェラルド(トム・ハーディ)に促され、グリズリーとの死闘で瀕死状態のグラス(レオナルド・ディカプリオ)は死を決断します。そして瞼を閉じた瞬間、彼は一度(象徴的に)死んでいます。息子との別れになってしまいますが、息子を生かすために自分は死を選んだ方が善と思えたからであり、一種の安堵感のようなものもあったでしょう。しかし、現実の死に至る直前、息子のホークが目の前で殺された瞬間に全てが覆されます。グラスは息子の復讐のため、ふたたび生にしがみつく闘いを始めます。とはいえ、声も出せない瀕死状態。しかも縛られて身動きが取れず、あおむけの彼は無念の気持ちで空を見るしかありません。そこには風に揺れる木々も一緒に見えます。枝だけではなく、幹も大きく揺れています。これは生命の根幹を揺るがす絶叫の風景です。
- グラスが杖をつきながら、やっと這い上がる丘では、グラスと同様に過酷な環境で生にしがみつきながら斜めに生える木々たちが映されます。生への執念の風景。このあとはバッファローの生肉、生の内蔵の晩餐が待っています。
- 嵐の中、旅をともにしたインディアンが作ってくれた治療シェルターにて、グラスが夢で見る崩れた教会は生と死の縁。日本で言えば、三途の河。息子と再開し、抱き合いますが、気がつくとすがりついているのは木の幹。自分ではなく生にしがみつけと息子に諭されたのです。まだ死ねない。己の木の幹を再確認し、夢から覚めた現実では嵐も過ぎています。
全体を通して語られる妻の詩は以下のとおり。
When there is a storm
And you stand in front of a tree
If you look at branches, you swear it will fall
But if you watch the trunk, you will see its stability
「嵐の中の木を見るがいい。木の枝が折れることはあるが、木の幹が揺らぐことはないのだ。」
「水」
水は運命であり、神の意志でもあります。この映画では最初と最後で水の流れが重要な役割を果たしています。
映画の冒頭、木々の幹の間をとうとうと流れる水。木を生かす水。そして、まるで木々の幹の一部のように脚から登場するグラスたち。歩く方向は水が流れる方向とは逆です。運命に挑む物語のはじまりです。
一方ラストシーンで、グラスがフイッツジェラルドを水に流します、その理由はグラス自身のセリフでしっかりと語られています。「復讐は神の手の中にある」。
生かされること
グラスは驚異的な生命力で生き続けます。(人間の自然治癒力の限界についての議論はこの映画では不要だと思います。映画ですから。)しかし、グラスは自分の力だけで生きられたのではなく、彼を生かすべく差し出される様々な命たちにこそ注目すべきです。
・グリズリー:グラスとの死闘で命を失ったグリズリーの毛皮が、全編を通して彼を寒さや水から救う。命と引き換えの毛皮。
・インディアン:一時、旅をともにしたインディアンは傷の治療をグラスに施し、最後のシェルター作った後、フランス人達に殺されてしまいます。命と引き換えの治療。
・馬:極寒を生き延びるために、一緒に落下して即死した馬の腹の中で一晩を過ごす。野生の肉体で防寒し、命と引き換えに生の余韻の暖かさを吸収したのです。
最後の瞬間、フィッツジェラルドへの復讐を神に委ね、妻の幻想も彼から完全に去っていき、グラスは新たな生に立ち向かうこととなります。そして我々観客は、最後の最後の瞬間にディカプリオと目が合います。「お前ならどう生きるか」と、彼が我々につきつけるのです。
撮影について
通常、映画は複数〜多数のカメラを同時に使って膨大な時間の撮影記録を残し、それらを2時間いくばくかの映画の尺におさめるため、編集作業(シーンの切り貼り)にも多大な時間とセンスを必要とします。しかしこの映画では予め完成形を想定したカメラ・ワークで、編集は極力抑えられています。予めこういう絵が撮りたいというヴィジョンあっての映像は力強く、しかも自然光のみで撮影されたという事物の陰影は、繊細さと過酷さを静かに語ります。もっとも風景写真は自然光が基本ですから同じ考えに至っても不思議ではないのですが。
特にアクション・シーンのカメラワークは驚嘆です。綿密に打ち合わされた広範囲で沢山の人物の動きの中、カメラは別の生き物の様に縦横無尽に動きます。寄り、引き、方向転換をし、描写対象を変えて移動を繰り返し、空を見上げる。編集はなく、ひと続きなのです。観ている我々は戦闘現場の真っただ中に落とされたように、ただただ圧倒されてしまいます。
音楽について
前述のとおり、坂本龍一渾身の作品です。映像との一体感、映像とともにみなぎる緊張感が凄い。例えば、バッファローの大群シーンではその鳴き声と音楽は協和しており、また、グラスがキャンプで風呂に入るあたりからラストまでのおよそ30分間は、まるで映像と音楽の芸術作品です。
総観
2時間30分以上に及ぶ長時間作品。天気は最初からほとんど曇天で薄暗く、雪のある風景が続く極寒。毛皮でひと稼ぎしようと集まった男達は鼻水まみれで喧嘩も絶えず、最初から全員の靴の中が水でぐじゅぐじゅに湿っており、風呂にも入れないので髪も浮浪者の様にべったり。悪役フィッツジェラルドはインディアンに頭の皮を剥がされ、その皮を表裏逆にして再度頭皮に貼りつけられている悲惨でホラーな有様。そして、主人公のグラスは最初から最後まで深い悲しみを抱いている痛々しい風情。これらのイメージがラストまで延々続きます。つまり、この映画を堪能するには、ディカプリオと一緒に極限の生に挑む覚悟が必要です。観賞後はどっと疲れますが、映像、音楽、作品全てにおいて価値のある傑作です。
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